日中友好新聞
無責任な日本政府追及を
京都で「日本軍毒ガス」シンポ
被害者自ら協力を訴え
被害状況を語るチチハル事件の被害者、牛海英さん
日本による中国侵略の出発点となった「九・一八柳条湖事件」と同じ9月18日、京都大学で、「日本軍遺棄毒ガス被害を考える京都シンポジウム」が開かれ、123人が参加、充実した内容となりました。
これは16日からの「世界神経学会」に合わせ、全日本民医連、保険医協会、日中友好協会などが実行委員会をもち、開いたもの。
日本軍は、戦争中に大久野島(広島県)やハルビンの731部隊などで毒ガスを製造し、中国の戦場でも使用。敗戦時には国際法違反を免れるため、中国の河川や山野に遺棄しました。そのため、戦後工事現場などで、中国の人びとが被害を受け、亡くなった人もいます。
処理ずみは僅か5万発
日本政府は、中国側からの強い要請で1991年にようやく調査し、処理事業がスタート。「化学兵器禁止条約」(1997年発効)では、遺棄側が処理するよう定まっていますが、日本政府の数字でも、70万発のうち、5万発しか進んでいません。
最初に被害者弁護団の富永由紀子弁護士が全体報告。1925年の「ジュネーブ議定書」の毒ガス兵器の使用禁止に反して、日本軍は1929年から製造し、使用したこと、第二次大戦中、唯一の使用国であること、チチハルの516部隊でその訓練をしたこと、2003年のチチハルでの被害(5個のドラム缶から44人が被害)以後も続いており、被害者救済のための「化学兵器日中未来平和基金」の設立などを説明しました。
日中の医師が症状説明
中国の神経内科医の曾維民氏(写真奥)が毒ガス被害の実態につい
て医師の立場から報告
実際に検診に当たったハルビンの神経内科医師、曾維民(そいみん)氏が具体的な症状について報告、日中合同検診に参加の2人の日本人医師、藤井政實氏(東京、芝病院)と磯野理氏(京都民医連第二中央病院)も、末梢神経や自律神経などへの長期の慢性障害を説明しました。
チチハル事件の被害者、牛海英(ぎゅうかいえい)さんは、身体的苦痛だけではなく恐怖感などから来る精神的苦痛や離婚にまで至る、人生の辛酸を『死んだ方がマシ』『日本人が憎い!』と表現。
しかし、母に助けられ、「日本軍が犯した罪」として乗り越え、これからも生きていく決意を述べ、医療費などの協力を訴えました。
参加者は感動しつつ、もっと事実を知らせ、日本政府の無責任さを変えることが大事との感想が多く出されました。
(井手淑子=京都府連理事)
日本の支援者との出会い支えに
協会本部に被害者ら表敬訪問
牛さん(左から2人目)らと懇談する右側手前から平山、矢崎、岡村各氏
9月19日、遺棄毒ガス被害者の牛海英さんとNPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金の菅本(すが もと)麻衣子弁護士、同基金の李樓(り ろう)理事(通訳)、京都民医連第二中央病院の磯野理院長が協会本部を表敬訪問し、矢崎光晴事務局長らと懇談しました。
矢崎事務局長は牛さんとの再会を喜び、辛い体験を乗り越えての遺棄毒ガス問題解決のための奮闘に心から敬意を表するとともに、侵略戦争の事実を語り広げている不再戦平和活動を紹介し、日本政府の責任を明確にして問題の解決をめざす協会の決意を述べました。
菅本弁護士は、京都シンポジウムの大きな成功を報告。牛さんは協会をはじめとした日本側の支援に繰り返し感謝の言葉を述べ、「辛い体験ではあったが裁判の闘いを通して日本の多くの支援者と出会えた。この支援者の存在が、日本を憎んでいた息子を変え、今は『いつか日本に行ってみたい』と言ってくれるようになった」と述べ、懇談の場には感動と連帯の思いが広がりました。
磯野氏は「被害者の検診などで中国の公の病院が対応してくれるようになった。日中両国の医療関係者の協力連携が強まっている。さらに、遺棄毒ガス被害の問題を国際社会に発信し始めている」と報告し、問題解決に向けた取り組みの発展と展望の広がりを明らかにしました。
懇談には、協会から岡村芳雄常務(東京都連副理事長)と平山百子不再戦委員が参加しました。
(M)