日中友好新聞
歴史を鑑に未来へ
人民大会堂に300人が集う
日中国交正常化45周年式典に参加して
田中義教
日中両国の小学生合唱団が「四季の歌」などを合唱
10年ぶりの記念行事
9月8日、北京で開催された国交正常化45周年記念式典に協会の大村新一郎会長と私が中国人民対外友好協会と中国日本友好協会から招待を受け、参加しました。
式典は、日中双方から各界の代表ら300人が出席し人民大会堂金色ホールで行われました。35周年(2007年)記念の集会が行われてから、関係悪化が続き実に10年ぶりの開催となりました。
オープニングは日中両国の小学生合唱団による「四季の歌」等の合唱があり、緊張関係の続く日中両国関係を和らげる思いも込められていたかのようでした。主な出席者は、中国側が全国人民代表大会常務委員会副委員長の王晨氏、主催者側から、中国人民対外友好協会の李小林会長、中日友好協会の唐家(とうかせん)会長、日本側は河野洋平前衆院議長、江田五月前参院議長、榊原定征経団連会長らが顔をそろえ、主賓各氏があいさつを述べました。
唐家会長は「45年を回顧し中日発展に尽力した関係者に敬意を表し、中日間の4つの文書を原則に、歴史を鑑として未来を切り開く精神を」と呼びかけ、河野氏は航空機の発着便数が当時と比べて驚異的に増えていることを紹介し「両国の友好協力が素晴らしい発展を遂げている、45周年と来年の日中平和条約40周年を機にさらに発展を」と表明しました。
周恩来元首相の姪、周秉徳(へいとく)氏は周恩来が田中角栄の生活習慣などを知って早朝型に変えたことなどを紹介、田中真紀子氏は父が危険を感じて真紀子氏を連れて行かなかったこと、訪中当日、田中邸の前は中国訪問に反対する右翼の街宣車に囲まれ「売国奴」などと攻撃されたこと等を紹介、それぞれ周、田中両氏にまつわるエピソードを話しました。
最後にあいさつに立った李小林会長は「中日友好は大勢の流れであり、両国と人民にとって根本的な利益である」と強調しました。
各界首脳と懇談
大村会長は同じメーンテーブルに座った宋敬武対外友好協会副会長、河野氏らと意見交換し、團紀彦(だんのりひこ)日中文化交流協会評議員、宋由貴(そうゆうき)少林寺拳法総裁らと懇談しました。また私とともに李小林会長、唐家会長、中日友好協会常務副会長王秀雲氏、前任の井頓泉(せいとんせん)氏、同秘書長だった袁敏道氏ら参加者とも懇談しました。
懇談では協会の最近の活動を紹介しつつ関係団体に中国百科検定での協力にも謝意を表明しました。
記念式典に先立って大村会長は、7日に釣魚台で行われた唐家会長主催の夕食会に榊原経団連会長、野田毅衆議院議員、田中真紀子夫妻、大平正芳元首相の家族の大平知範氏ら20人とともに招待され、懇談しました。
兪正声政協主席と会見
左から大村会長、唐会長、田中理事長
8日の午前中には兪正声(ゆせいせい)政治協商会議主席との会見にも招待されました。兪主席と河野氏が日本の動向や北朝鮮問題で意見を交換しながらも、最後は「ここにいるものは皆、日中友好愛好者、とにかく協力していこう」となりました。
会見には前日の参加者のほかに、中村法道長崎県知事、小林喜光経済同友会代表幹事、横井裕在中国大使ら日中合わせて35人が同席しました。そのまま昼には李会長主催の昼食会にも招待され、参加者と懇談しました。
滞在期間中、北京は猛暑でしたが快晴に恵まれました。大村会長と私は、唐会長はじめ中日友好協会の多くのスタッフから温かい歓迎を受け日程を無事終え帰路につきました。
直前に中国百科検定で優秀な成績を収めた2人の学生が副賞として同協会の招待を受け、初めて中国訪問し全面的にお世話になったこともあり協会としてお礼を述べました。
日本からも多くの人びとが立場の違いを超え日中友好協会はじめ「日中友好」の1点で北京で一堂に会しました。今後も双方の平和、友好を発展させる努力が必要と感じた記念集会でした。
(日中友好協会本部理事長)