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HOME > 日中友好新聞 > 2017年4月25日号

日中友好新聞

どう示す独自の存在意義 香港返還⒛周年―― 雨傘運動を振り返る
中村元哉


 

shinbun

政府前に掲げられた「真の民主政治」と「真の普通選挙」を訴える標識



多様性もつ香港の苦悩



 2017年は、香港が中国に返還されてから20年目に当たる。東アジアの結節点としての香港が返還された意義を世界史規模から振り返った場合、それは東アジアの変容を促したという点に求められるだろう。
 私は、中国近現代史・東アジア国際関係論を専攻しており、香港を専門としているわけではない。ただ、そんな私ではあるが、雨傘運動が2014年秋に発生した際に、たまたま香港大学で研修の機会を得ており、連日、現地の人たちから「生」の声を聞くことができた。
   あれから3年――そう、2017年は、雨傘運動で争点になった行政長官選挙の年でもあった。今年3月26日に行なわれた選挙では、親中派の林鄭月娥(りん てい げつ が)氏が選出された。林鄭氏は前政府のナンバー2として雨傘運動の要求を退けた人物であり、香港社会が亀裂を深めるのではないかと危惧されている。
 もともと、1人1票の普通選挙は、2017年の選挙から導入されることになっていた。ところが、3年前に、中国政府は、事実上民主派が候補者を立てられなくする決定を下した。
 すると、これに反発した学生たちが「真の民主政治」と「真の普通選挙」を目標に掲げて雨傘運動を主導し、今回の行政長官を予定どおり普通選挙で選出できるように要望したのであった〔写真上〕。
 結局、普通選挙は実現せず、約1200人の選挙委員から選出するという従来の方法が今回も引き継がれた。確かに香港には、民主化に対する社会的欲求がくすぶり続けている。
 しかし、雨傘運動を支持した香港の人びとがこの3年間で分化し、グループを再編していったことに象徴されるように、雨傘運動へと至った当時の香港情勢は実に複雑だった。例えば、雨傘運動の参加者がアドミラルティ(金鐘)からセントラル(中環)を占拠したことに反対する親中派と呼ばれた人びとも当時から存在していた。また、国籍に関係なく、雨傘運動の中心部で、「Obstruction is violence」(道路を閉鎖することは暴力である)というプラカードを無言で掲げ続ける西洋人の姿もあった〔写真下〕。
 要するに、雨傘運動の支持者たちが「民主という普遍的な価値を達成すれば、なぜ香港を今よりも明るくできるのか」を、香港内部に向けて説得的に提示できなかったほどに、香港は民主化とは異なる次元で苦悩しているのである



香港の未来とは?

shinbun

道路を閉鎖することは暴力である
というプラカードを無言で掲げ
続ける西洋人の姿も


 現在の香港は、好むと好まざるとにかかわらず、経済面では中国に依存している。その依存のあり方は、どの国でも見られるように、時に不合理で不公平なこともあるだろう。不動産価格の上昇などがそうである。だからこそ、それらを解決するためには透明な制度が必要だ、という社会からの欲求は当然のことである。
 しかしながら、3年前の雨傘運動から先月の行政長官選挙まで、「香港の民主は不完全ではあるが、それでも中国の他の都市と比較すれば、相対的に民主を享受できている」という反応が香港内部にもあるように、現在の制度を安定させながら香港が直面している課題に取り組んだほうが賢明だ、という選択肢もあり得る。
 だからこそ、先月の行政長官選挙では、民主派が支持した前財政官の曽俊華(そしゅんか)氏が高い支持を得たのであろう。
 それでは、現在の香港が最も腐心している課題とは何か。それは、中国に対する経済依存度の高まりが香港を中国の一地方都市へと変質させ、上海や深圳(しんせん)などとどのように棲(す)み分ければいいのか、という根源的な問いにあるのではないか。「香港は埋没していないか?」という焦燥感である。
 かつての香港は国際都市として独特の存在感を放っていただけに、現在の香港は、中国返還後のこの20年間で、「上海でも深圳でもなく、香港でなければならない理由」をどこまで説明できたのか、そして今後どのように模索すればいいのかを、あらゆる立場を超えて考え続けなければならない。
 以上のような香港理解に立って、東アジアの結節点の一つである香港を日本から観察し続けることが重要であろう。

(津田塾大学学芸学部国際関係学科教授)





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