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日中友好新聞

2017年は心地よい1年に
中国でも受けた落語の妙味
落語家 林家三平師匠


 

shinbun

落語家 林家三平師匠





上海で襲名披露公演



 「お金をごまかすっていうのは万国共通ですね。大好きなんですよ。で『時そば』をやらせていただいて─」
 「中国もそば文化かと思っていたら違うのですね。おつゆの張った麺がない。中国人の食べ方は音を出さないんですね。なんで日本人は音をたてて食べるのか、ソバをすすったときに鼻に抜けるソバの香りを楽しむからと解説の方に言ってもらうんです。そうすると皆さん理解してくださる」
 「みんなびっくりしたのは日本人のこの格好。着物着て、座布団の上で正座。こっちは座布団が絹なのでつるつるすべるんです。07年の青島が最初で、10年に上海で襲名披露をやらせていただき、杭州、広州などでも江戸文化の落語を初めて紹介しました。─みなさん、噺(はなし)はちゃんと聞いて分かってくれるんですけど、大声出して笑ってくれない。北京語習ってやったので、上海の方は上海語で広州の方は広州語でと言われて…。やっぱり発音が難しかったですね。四声とか、巻舌音が」



中国語は奥が深い

 「中国人の先生に習ったんです。日本語と同じ発音で同じ意味の言葉が一つあるって。打開(ダーカイ)、これは唯一中国語と日本語の重なっている言葉だといわれました。両国の問題もダカイしていくという意味に通じる。言葉という壁はあるかもしれないけれど気持ちは似た部分があるんじゃないかと。銀座の高座でお客さんから発音を直されるという体験も
」  「中国語って奥が深いですし、いかに遠くにいる人に声をかけるのに通じる言葉なのかと思いましたね。大陸ってそういう広い国なんだ、スケールの違いが言葉に出るんだなって─」
 「落語の俳優だから相声(シャン ション)(漫才)俳優といわれました。中国でまた口演をやりたいですね。最後の壁は言葉だと思いますんで、これをどうしても破るように精進したい」



父の特攻体験を追ってを

 初代林家三平は、三平さんが9歳の時に亡くなった。
 「父は特攻要員なんです。金沢の連隊から千葉県の海岸に連れて行かれて本土決戦でアメリカ軍の戦車が上陸してきたら竹竿の先に爆弾をくくりつけたのを持って、ぶつかって戦車ごと死ぬわけです。父はそういうことは語らなかったんです。なんであんなに明るい父が生まれたんだろうって思うと、一回、多分、父は千葉の海で戦死しているんですね、気持ちで。生まれ変わって三平になっているんだ。お笑いの爆笑王に、魂を創りあげたんだと思うんです」
 父の戦争体験を自分が追体験する思いで、映画「サクラ花─桜花最期の特攻─」に出演。ロケット特攻機桜花をつり下げて飛ぶ一式陸攻機の乗組員。一人一人倒れていく様を見つめ続ける。
 祖父七代目正蔵が戦時下に政府から言われて創作し封じられてきた国策落語の実演を試みている。その『出征祝い』は出征青年のために食べ物を集めて「酒買ったか」「二本買った(日本勝った)」で笑わせる。
 「今の時代とあの時代を比べて当時のこういう考え方、ギャップを考えて、日本が発展したということを見つめてもらいたい」

(聞き手=石子順)





【ねぎし三平堂】

 土・水・日曜日、午前11時から午後5時まで開堂。入堂料600円。毎月第3土曜日の午後5時30分から「三平堂落語会」を開催。木戸銭1000円。オフィシャルサイトはsanpeido.com 本名 海老名 泰助(たい すけ)=1970年生まれ、東京都台東区出身。初代林家三平の次男。中央大学国際経済学科入学後、90年に林家いっ平として落語家の修業に入る。93年二ツ目昇進、99年シンガポールにて江戸落語「禁酒番屋」を史上初めて英語で公演。2002年に下席より真打昇進。05年「大銀座落語祭2005」ヤマハホールで中国語落語「時そば」、翌年に「大銀座落語祭2006」ヤマハホールで中国語落語「動物園」中国語版を発表。 中国青島や上海、福建省アモイで中国語落語を公演。09年3月下席より 二代 林家三平 襲名、10年11月 中国上海「蘭心大劇院」にて二代林家三平襲名披露公演。その他、テレビのバラエティー番組・舞台に出演、雑誌や本の執筆と多岐にわたる。現在、「笑点」(日本テレビ)に出演中。「ねぎし三平堂」堂長。



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