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HOME > 日中友好新聞 > 2016年9月5日号

日中友好新聞

98人が交流し友情育む
北海道で日中韓台の青少年キャンプ


 

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劉連仁「生還記念碑」前で98人の日中韓台の若者たちが記念撮影




東アジアの歴史学ぶ

 7月28日から8月2日までの6日間、東アジア青少年歴史体験キャンプが同キャンプ日本実行委員会の主催で北海道で開催されました。
 日中韓の中高生が交流し友情を育むこの貴重な体験学習は、2002年の第1回から3カ国持ち回りで開催され、今年で15年目。これまでの参加者は1100人を超えています。
 中・高生の参加者は中国から30人、韓国から29人、日本から32人、そして今回初めて台湾から7人の参加者があり、東アジアの過去・現在・そして未来を語り合ううえで、さらに大きな広がりを感じさせ、通訳やボランティアスタッフなど総勢161人の一大キャンプとなりました。


山深い朱鞠内(しゅまりない)で

 初日は幌加内(ほろかない)町朱鞠内へ直行。翌日は豪雪地「朱鞠内湖」へ。ここに昭和3年(1928年)ごろダム建設が始まり、それに伴う木材等資材輸送のための鉄道深名線(名寄―深川間)を建設。「たこ部屋労働者」と呼ばれる日本人と、強制連行された朝鮮人の多くが犠牲となりました。
 次の日は、当時の様子を深川市一乗寺の殿平義彦住職から説明を受け、犠牲者の位牌70余りと当時の写真を収めた「光顕寺・笹の墓標展示館」や共同墓地を見学しました。



劉連仁さんの事績を見聞

 3日目は芦別でフィールドワーク、そして芦別炭鉱跡地を見学。戦中ここに強制連行された中国人は1284人、うち523人が死亡しています。
 午後は札幌の隣町・当別町を訪れました。ここには昭和19年(1944年)9月、中国山東省から強制連行された劉連仁さんの「生還記念碑」があり、副代表の大沢勉さんが、発見当時の模様や劉さんの送還、碑の建立経緯を詳しく話しました。
 熱心に聞き入る生徒たちに「こんなに多くの人が一度に見学に来られたのは初めてです」と感謝の言葉を述べていました。



「強制連行」で講義

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車座になって班ごとの平和宣言案を検討する参加者



 4日目は北海商科大学で、「強制連行・強制労働」について、4氏の講義を受けました。  室蘭工業高校の松本徹先生は八路軍兵士・趙冠英さん(当時18歳)が日本軍に捕えられ、北海道に強制連行・強制労働させられた話を紹介。戦時中、室蘭に強制連行された中国人は1852人、うち564人が亡くなっています。
中国の南京師範大学付属高校の徐拙品(じょせつぴん)先生は、日本に強制連行されたのは3万8935人、他に日本が占領した満州に309万人など、河北地域からの強制労働者は700万人にのぼると説明。
韓国の李慶勲先生は、日本は端島(通称軍艦島)をユネスコ世界遺産に登録申請し、韓国と中国がそれに反対した理由は、朝鮮人600人と中国人戦争捕虜200人が連れてこられ、毎日12時間も働かされたという史実にもとづくもので、朝鮮人労働者のうち、122人が死亡。
 現在、長崎市の端島観光のパンフレットには、強制連行の文言が見当たらないと説明しました。
 最後に北海道大学の井上勝生名誉教授が講義。「教科書のなかの日清戦争と東学農民戦争」や「討伐日本軍と東学農民軍」また「アイヌ民族近代史」などにふれ、「世界史において、屈辱に対して、黙って従った民族はいない」と述べ、日本の例としてアイヌ民族の運動を紹介しました。



5日目はパネルディスカッション

 日本人の男子生徒は、朱鞠内での遺骨収集の経験と、昨年、その遺骨を韓国へ送還した代表団として参加したことを報告、中国の男子生徒は「中国残留孤児が養父母と別れて日本人として帰った人もいるし、中国人として生活している人もいる」と発言。
 在日朝鮮人の女子生徒は、「ヘイトスピーチに遭って、私たちがなぜ国へ帰れとひどい暴言を言われないといけないのか」と泣きながら訴えました。



(影浦貞宏=協会札幌支部事務局次長)





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