日中友好新聞
戦場では善良な青年も鬼に
「一日本兵が撮った日中戦争」に
1000人
兵士の日常や戦争の残酷さが記録された写真
日中友好協会は5月8日から10日まで、「戦後70年企画・一日本兵が撮った日中戦争―村瀬守保写真展―」を東京なかのZERO・展示ギャラリーで開催。
村瀬さんの作品の展示のほか、「証言―侵略戦争~人間から鬼へ、そして人間へ」「証言―強制連行」など4本のDVDの上映、写真家の落合由利子さんのトークも行なった結果、3日間で約1000人が来場、びっしりと書き込まれたアンケートも300枚に達しました。
安倍内閣が国民多数の反対を無視し、日本を再び「戦争する国」につくり変える憲法9条破壊の「戦争法案」を閣議決定し国会に提出するという危険な動きの下で、村瀬さんの写真展は、これに抗議し「若者を二度と戦場に送るな」という声を国民の中に広げていくための企画として、重要な役割を果たしました。
全国的開催の機運高まる
「戦場という狂気の中では、普段は善良な人でも鬼に化すことがよく分かった。できるだけ多くの人に見てもらうため、この企画を全国的に繰り広げてほしい」との要望も相次ぎ、写真展の今後の広がりが期待されます。
撮りためたネガ3000枚
写真を撮った故・村瀬守保さん(埼玉県川越市)は、日中戦争(1937~45年)の開戦直後に召集され、 として物資を運ぶ自動車部隊に所属し、2年半にわたり天津、北京、上海、南京、徐州、漢口など中国各地を転戦しました。
同僚や上官、前線の風景など、趣味のカメラで撮った写真は、それぞれの故郷へ送るものとして喜ばれ、いつしか公式カメラマン同様の撮影を許されるようになりました。
撮りためた約3000枚のネガは、月に2、3度の割合で、後に結婚するあやさんの元に手紙とともに届けられ、大事に保管されていました。
リアルに伝わる戦争の実態
協会は今回、遺族から約1000枚の写真の提供を受け、写真展実行委員会が選んだ50枚をパネルに、残りを組み写真で展示しました。
お国自慢の盆踊りに興じたり、ドラム缶の朝風呂に入ったりする兵士の日常生活が見えてくる一方で、日本兵が殺害した多数の中国人の遺体や、日本兵におびえる老女や子どもの姿、「慰安所」に並ぶ兵士など、戦争の残忍さ、醜さがリアルに伝わってきます。
パネルはA2とB3サイズの2種類で、貸し出しを行なっています。協会本部にお問い合わせください。
「兵士の息づかい聞こえる」
アンケートから、いくつかの感想を紹介すると――。
「日本人が…悪いことをするはずがない!と思ってまたは信じたい一心で来ましたが…。現実は、証言を聞いたり見たりすると打ちのめされた感じです。この作品(DVD・写真)安倍総理が見たらどう思うだろうか?全国会議員に見てほしい作品です」
「戦争は悲惨なものだと改めて感じ、絶対に戦争はやってはならないと思いました。集団的自衛権行使容認の解釈変更や安保法案など、日本人にとって戦争がとても身近に感じられるようになってきた今、この写真を多くの人に見ていただ
きたいです」
「村瀬さんのメッセージにあるように、平和を守ることこそ、次の世代に対する私たち国民一人一人の義務ではないでしょうか」
「このような現実に起きたことを友人たちは知りません。もっと多くの若い人たちが見るべきだと思いました」
「末端の兵士や人間の姿と息づかいが聞こえてくるような写真で、戦争は遠い世界のものでなく、私たち一人一人の生活圏に入ってくるものであることを感じました」
「日本兵の表情が特に印象に残りました。家庭や故郷では優しい青年や夫が、戦場では鬼と化す。何が人間を鬼に変えるのでしょうか。今、心しなければ歴史は繰り返します。人間をこんなふうに変えてしまう戦争は何としても防がなければなりません」
落合由利子さんの講演に耳を傾ける参加者
落合由利子さんトークから
「写真には力がある」
「村瀬さんには、文章になっているものの、シャッターを押せなかった場面がいっぱいあるように思われます。
強姦された女の人が下腹部を切り裂かれた写真、泣き叫んでいる子どもの写真、輸送部隊が村を通る時、八路軍の待ち伏せ作戦に遭い、100㍍ほど後方から仲間が待ってくれ!と叫んで追いかけてくるのに、運転手が夢中でアクセルを踏んで置き去りにしていく写真、いずれもありません。
私は、どれだけ、撮れなかった写真があったのだろうかと想像します。写真には力があります。なぜ、シャッターを押せなかったのか。それを想像することこそ、村瀬さんが私たちにくれたバトンです」
(福田和男)