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HOME > 日中友好新聞 > 2015年5月5日号

日中友好新聞


今どき「八紘一宇」とは?
「侵略・植民地支配」のスローガンだった

 

 

宮崎市内の「八紘之基柱」。今は「平和の塔」と呼ばれている(「八紘一宇」の塔を考える会提供)


 


 3月16日の参議院予算委員会で三原じゅん子議員(自民)が「八紘一宇は大切にしてきた価値観」と発言しました。戦争体験者にはゾッとする言葉、未体験者には「何のこと?」。その歴史を掘り下げてみました。 (編集部)

 

 


アジア太平洋戦争の旗印

 

 3月27日の大手M紙は「八紘一宇=問題視されない怖さ」と大きく報じました。三原議員は質問のなかで「現在のグローバル資本主義のなかで、日本がどう立ち振舞うべきかが示されている」と、国際的な租税回避問題に関して、この言葉を持ち出しました。
 しかし、この言葉は「日本を盟主とする世界統一の理想を現すもの」、「日本がアジア太平洋諸国に未曾有の犠牲を強いた侵略戦争と植民地支配のスローガン」として使われました。

 


安倍首相の暴走を後押し

 

 安倍首相は現在、集団的自衛権行使を容認し「日本を海外で戦争する国にする」暴走を続けています。また自衛隊を「わが軍」と称してはばかりません。「わが軍」とは、戦後の歴代首相の誰もが口にしなかった言葉です。三原議員の発言は、この安倍首相の言動を後押しするものにほかなりません。



 

日本軍の航空基地に掲げられた「八紘一宇」の旗印
(出典=ウィキペディア)

 

 

 

日中友好協会が抗議


 日中友好協会は「戦争体験のない世代が国会議員の大半を占めるに至ったいま、侵略戦争に対する曖昧な認識が広がり、歴史を修正するかのような危険な言動が日本の行く末を危うくしている」と厳しく抗議しました(抗議の内容は2面)。
 1940年(紀元2600年)に宮崎市に「八紘之基柱」(八紘一宇の塔)が建立され現存しています。また、東京その他各地に戦前・戦中に造られた同様の塔や碑が残っています。

 

 

宮崎の「八紘一宇」塔


 自民党の三原じゅん子議員の発言は、とんでもない歴史錯誤です。これでは中国への侵略戦争への反省など出てきません。次は「大東亜共栄圏」を正当化することになるのではないでしょうか。自民党の指導者からの批判がひとつもありません。
宮崎市に高さが36bもある大石塔「八紘一宇」の塔があります。 この塔は中国侵略戦争のさなかに「紀元2600年」を記念して建てられました。正面に「八紘一宇」の文字が大きく彫り込んであり、塔の基壇には中国に派兵した陸軍部隊、植民地の日本人団体などから送らせた石がたくさんはめ込まれています。
 「八紘一宇」は1910年代に造語された言葉で、「世界を天皇が支配するひとつの国にする」という意味です。実際に軍部や政治指導者が使ったのは傀儡国「満州国」の?建国″後のことで、1940年、近衛文麿内閣が「皇国の国是は八紘一宇とする」とした直後に「日独伊・三国同盟」を結び、ベトナムに軍事侵攻したように、日本を戦争に引っ張っていく役割を果たした「価値観」でした。
 25年前に「『八紘一宇』の塔を考える会」をつくりました。そして毎年8月15日には塔の前で平和集会を開いています。例年、親子連れで100人を超える県民が集まります。この場で何のために塔が造られたのか、「八紘一宇」の意味などを明らかにしています。
 「八紘一宇」の塔を戦争遺産に指定し、二度と戦争を起こさない決意を示したいと考えています。 (「八紘一宇」の塔を考える会 税田啓一郎)

 

 

 

東京など各地にも


 東京には新宿区市ヶ谷の亀岡八幡宮境内に「八紘一宇」と大書した碑があり、その下側に「紀元二千六百年記念 東京市長 大久保留次郎」と記されています。中央区築地の晴海通りの一角、また足立区千住大橋のたもとにも、それぞれ同様の碑が現存しています。
 神奈川にも、鎌倉市の「御霊神社」や平塚市の「駒形神社」の境内に「八紘一宇」の碑があります。
大阪にも、市内の西区などに同様の碑が残っています。

 

 

 

 

八紘一宇とは?

 

 「日本書紀」巻第三の神武紀で、神武天皇が大和橿原に都を定めた時の神勅に「兼六合以開都、掩八紘 為宇、不亦可乎」とある。    

 六合とは「天下、世界」、八紘とは八つの方位から「全世界」、宇とは「家」を現す。  

 1903年、仏教運動家の田中智学がこの言葉を「全世界を一軒の家のような状態にする」と解釈し、日本的な世界と統一の原理として「八紘一宇」を造語した。

 

 

紀元2600年とは?

 

 日本の初代の天皇「神武天皇」が「橿原の宮」で即位してから2600年に当たるとして、1940年(昭和15年)を記念したことを指す。「皇紀2600年」とも言う。この年、日本政府は各種「慶祝行事」を全国で大々的に展開、国民に対して「神国日本」の「偉大性」を宣伝し、中国侵略戦争推進に向け「戦意高揚」をはかった。


 


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