日中友好新聞
平和は宝、故郷はハルビン
宝田 明さん
次の世代に平和を命を渡していこうと宝田明さん(撮影=押見真帆)
宝田明さんプロフィール
昭和9年4月生まれ、旧満州ハルビン出身。1954年第6期東宝ニューフェイスとして、『かくて自由の鐘は鳴る』でデビュー。『ゴジラ』、『美貌の都』、『大学生』シリーズ、『香港の夜』シリーズ、『放浪記』などの文学作品。『あげまん』『ミンボーの女』『マルタイの女』など伊丹十三作品に出演。映画出演本数は200本を超える。
64年『アニーよ銃をとれ』で、ブロードウェイミュージカルに挑戦、芸術祭奨励賞を受賞。以後、『サウンド・オブ・ミュージック』『風と共に去りぬ』『マイフェアレディ』など数多くの主演で、第6回紀伊國屋演劇賞・第10回ゴールデンアロー賞受賞。
2012年に自身がプロデュース・演出・出演を務めるミュージカル「ファンタスティックス」を全国公演、平成24年度文化庁芸術祭賞大賞を受賞するなど、ミュージカル俳優として不動の地位を築く。NHK連続テレビ小説『カーネーション』に出演するなど、舞台・ドラマなど多方面にて活躍中。
死を乗り越えた俳優魂
1954年公開の「ゴジラ」から、「香港の星」の国際的メロドラマ、「放浪記」「忠臣蔵」など東宝二枚目スターとして活躍。さらに「風と共に去りぬ」などでミュージカルスターへ。昨年のTVドラマ「遠い約束〜星になったこどもたち〜」の印象も新しい宝田明さん。
スター歴60余年の今、「憲法9条は世界の宝だ」と訴え、若者を戦争へやるなと主張して実に若々しい。そこに脈打つのは満州・ハルビンでの敗戦と引き揚げの厳しい体験を生き抜いた力です。
怪獣は反核を主張して
「映画『ゴジラ』は、戦争の悲惨なことを少しずつ忘れたとき第五福竜丸事件があって、ビキニ環礁で日本は二度目の被爆ってことで作られたわけですけど。怪獣に託して日本人だからこそ言える反核を訴えた映画で、水爆があるかぎり地球破壊の恐れがあると警告したのです。ゴジラが海に沈んでいく場面は彼も被害者のようで怪獣というより神がつかわした聖獣のように見えて悲しかったですね」
「今の日本はだんだん右傾化して、きな臭いものを感じるんですね。なし崩し的に集団的自衛権の閣議決定などちょっと待てよ、国民の生命、財産とか安全というものを君たちだけで決めていいのかと無性に腹が立ってしょうがない。何十億円もする戦闘機を何十機もアメリカから買うより平和外交に徹した方がいい。3・11があって日本は三度目ですね、被爆は。安全に対する保証がないまま原発再開しようと―。『ゴジラ』を国会の議場で衆参両議院の議員さんに見てもらいたい」
いい日中関係つくるには
「私はハルビンの白梅小学校の同窓生たちと母校を20人から30人で3年に1回くらい訪れました。みんなで学用品をダンボール3つ4つとかテレビとかを寄付して、われわれと同世代や若い中国人たちと話すんです。みんな関東軍などの横暴に対して煮えくり返るような思いをがまんしている姿が分かるんです。当時小学生とはいえご迷惑をかけましたね、対不起(すみません)と頭を下げると、それはもう祖父や父の代のことであって、これからは若い人たちと手をたずさえていい関係を作っていく時代だって逆に言われましてね、中国って大国だなって思うのです」
「過去、日本が犯した戦争という大罪を自分たちで反省する姿勢がないから、いつまでも批判されるんです。NHKの大河ドラマでも戦国時代などに終始するけれど昭和から終戦までの激動の昭和史というのをもっと取り上げなきゃいけないと思います。そうすれば見えなかったところが明るみに出てきて、過去の失敗を堂々と子どもたちに言える」
日中友好運動は崇高なアクション
「創立以来60余年、ずっと日本と中国の平和を主張してこられた日中友好協会の動き、東洋の国民が手をたずさえて仲良く生きていこうという気概はとても大事で崇高なアクションだと思います。マスコミがもっと取り上げるべきだと思いますよ」
「いつだったか、私と新京放送局にいた森繁久弥先輩、女優の山口淑子さんと三人で中国東北を訪ねる旅をと企画したんです」
この再訪計画は森繁さんも乗り気だったようだが途切れてしまったのは実に惜しい。
死から生まれた信念
父は満鉄の技師だった。三人の兄のうち次男は戦死し、三男は引き揚げ直前に生き別れて一人で帰国したが、11歳の宝田少年はソ連兵に右腹を銃撃され、病院もなく元軍医が麻酔もないまま消毒した裁ちばさみで皮膚を切り弾丸を取り出してくれた。激痛でのけぞり、つかんでいたベッドの鉄柵が曲がった!この痛みが生き抜く強(きょう)靱(じん)な精神力となり、引き揚げ少年を映画俳優として成功させたのだろう。
「間違ってもあのような戦争を二度と起こすまい。日本は世界に冠たる憲法9条をもっている国だ」という信念も死を乗り越えた俳優魂から生まれたのだ。
語り終わった時、「わたしたち」という満州唱歌を北風や吹雪にも負けないと軽やかに口ずさんだ宝田さん。思わず筆者も唱和しつつ握手した。引き揚げ者同士の熱い心の脈動を感じた。(石子)
日野原重明さん、澤地久枝さんとの共著『平和と命こそ』を手にして