日中友好新聞
2015年
新春インタビュー
丹羽宇一郎さんに聞く
戦後70年「平和と友好をアピールする年に」
丹羽宇一郎さんは中華人民共和国駐(ちゅう)箚(さつ)特命全権大使を2010年6月から12年12月まで歴任され、現在は早稲田大学特命教授として後進の指導に当たっています。
商社マン・大使時代の中国との関わり、日中首脳会談への思い、戦後70年を迎える今年、日中関係の展望・あるべき姿などについてお話を伺いました。
インタビューでは、丹羽さんの歯に衣着せぬ発言の多さにこちらが驚くほど。その厳しくも温かい語り口の中に日中両国関係の前途への熱い思いが感じられました。
聞き手は、協会本部の田中義教理事長。
丹羽宇一郎さんプロフィール
1939年、愛知県生まれ。62年3月名古屋大学法学部卒業、同年4月伊藤忠商事入社、主に食料部門に携わる。98年同社社長、2004年会長に就任、13年4月から早稲田大学特命教授に就任。
主な著書に『人は仕事で磨かれる』(文春文庫刊)、『汗出せ、知恵出せ、もっと働け!』(文芸春秋刊)、『新・ニッポン開国論』(日経BP刊)、『負けてたまるか!若者のための仕事論』(朝日新書刊)、『北京烈日』(文芸春秋刊)、『負けてたまるか!リーダーのための仕事論』(朝日新書刊)、『中国の大問題』(PHP新書刊)。
「ありのままの姿見たい」
伊藤忠商事時代の1972年から何度も中国を訪れ、全国各地を駆け回ってビジネスを展開してきました。「ありのままの姿が見たい」がモットー。
大使として赴任した時も「現場体験が、その国を知るには一番大事だ」という視点を忘れず「中国側がアレンジしないところを見てみたい。そこに本当の姿があるから」と、冒険心豊かな一面をのぞかせます。
北京オリンピックを迎えた2008年を境に、中国は大きなビル群や豊かな物資に溢れ、街の様子が一変。さらに中国人の考え方の変貌ぶりに驚いたといいます。「まさに『衣食足りて礼節を知る』です」(編集部注=「生活が豊かになれば、道徳意識は自然と高まる」という古代中国の教え)。
日中首脳会談は一歩前進
昨年11月10日に習近平国家主席と安倍晋三首相の日中首脳会談が2年半ぶりに実現しました。丹羽さんは「一歩前進したことは間違いない」と評価する一方、「根本的に日本人は中国に対する態度が変わっていない」と分析します。
「今の米中関係を考えると、日本政府は中国の力を認めるべきだ。アメリカのオバマ大統領は『お互いに話し合いで解決しようという気持ちをもたないといけない』と安倍首相に進言しているようだが、当の安倍首相は中国に対し、強い態度で出れば相手がへこむという考えなのか、あるいは中国が強い態度で出るなら、こちらも強い態度で出ようということでは、永久に問題は解決しない。悪化するだけだ」と、安倍首相の唯我独尊的考え方を懸念します。
2011年5月、山東省を訪れた丹羽大使(当時、右から2人目)を迎える省政府党書記(左から2人目)ら要人たち
靖国参拝をどう考える?
一昨年の12月26日に安倍首相が靖国神社を参拝したことについて丹羽さんは「総理という立場で行くのは国際的理解が得られにくい」と断言。また、「第二次世界大戦で日中両国民や世界にも大変な被害を与えたということ、靖国参拝をすることの影響を今の政権は慎重に考えるべきだ」と強調します。
さらに、「日本政府は戦争犯罪人の名誉の回復はするけれど、中国はじめアジアに対して侵略したことについて言葉を濁している。これでは中国と意見が合わないのは当然」と語ります。
市民から笑顔で迎えられ歌で交流する丹羽さん
(2011年5月、山東省済南)
歴史を学ばざる者は歴史を繰り返す
「アメリカの議会図書館の礎石には『歴史を学ばざる者は歴史を繰り返す』とある。第二次大戦前の日本は食べられなくなったから、満州開拓団など移民せざるを得なかった。そういう状況は、また戦争すれば出てくる。戦争になったら、生命線の食糧・エネルギー自給率が低い日本人は飢えて死にます」と、丹羽さんは予言します。
また近年、戦争体験者が少なくなってきていることにも危機感を募らせています。「先日、財界を引退された80代の方から『戦争体験者はわれわれで終わりじゃないか。語り部がいない』という話を聞いたばかり。戦争体験者の話をメディアが積極的に後世に伝えていくべきです。現場体験者の話はリアリスティック。本当の怖さが分かっているから。でも今の若い人たちは戦争の怖さを知らない。安倍首相も戦争の本当の怖さを分かってないのじゃないか」。
日中関係改善の道筋
「尖閣諸島については海底に資源があるなら、日中両国で話し合い、領土問題は凍結状態にしておけばいいのではないか」と提案します。
また、「漁業協定とか資源の開発、青少年の交流、経済などは、どんどん話し合いを進める環境づくりを本来、政治がつくっていかないといけない。日中関係改善の道筋は『四つの政治文書』(注)の精神を守って、話し合いを始めることが重要だ」と強調します(編集部注=72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の日中共同宣言、08年の日中共同声明をさす)。
戦後70年はどういう年?
最後に丹羽さんは「国家の将来のためには『平和と友好』が基本になければならないことを新年に国民は世界に向けて確認すべきです。戦後70年は、まさにその確認なんだと思います。第二次大戦は大変に残念な結果であり、日本国民は大きく反省をしていると世界にアピールし、歴史の重みを考えないといけない。歴史の重みは、つまり人間の重みなんですから」。(執筆・撮影=押見真帆)