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HOME > 日中友好新聞 > 2014年11月15日号

日中友好新聞

仙台との深い縁を大切に
盛大に魯迅留学110周年記念祭
渡辺 襄

 

魯迅仙台留学110周年記念祭の参加者

 

  魯迅仙台留学110周年記念祭の一環として、碑前祭が10月20日午後、仙台市内の魯迅之碑前で行われ、主催団体の関係者と中国・紹興魯迅記念館、中国大使夫妻と新潟総領事ら、魯迅の孫たち一行と一般市民120人余が参加しました。
主催は東北大学・宮城県・仙台市・日中友好協会宮城県連・魯迅が育む「仙台日中交流連絡会議」など6団体による実行委員会。
東北大学の植木俊哉理事と仙台市の伊藤敬幹副市長が式辞を述べ、魯迅と仙台の深い縁を今後とも大事にしていくことを強調しました。続いて若生正博宮城県副知事、程永華中国大使、周令飛魯迅文化基金秘書長(魯迅の孫)があいさつ。

 


仙台市内の魯迅之碑前で行われた碑前祭(10月20日)

 


程大使、「友好」の道筋強調

 

程永華中国大使

 程大使は、中国では魯迅が仙台医学専門学校で藤野先生の教えを受けたことなどについて教科書で「仙台にて」という表題で紹介されていること、先の大震災後に温家宝首相(当時)も訪れて中国人実習生の全員救助に感謝したことなどに言及。
さらに、困難な局面の克服には中日両政府の合意した4つの政治文書にもとづくことが重要であると強調、今後は地方交流、人的交流、文化交流を互恵協力、相互信頼の立場で進め、中日友好の道を努力していこう、と述べ、「地上にもともと道はない。歩く人が多くなればそれが道になる」と、魯迅の文章を引用して締めくくりました。
魯迅の令孫・周令飛さん(魯迅文化基金会秘書長)は、作品「藤野先生」の感想を語り、弱国からの留学生に強い関心を寄せた藤野先生が別れのあいさつに訪れた魯迅に「惜別」と書いて写真を渡す場面には偉大な心持ちと心の通じ合いが示されており、この光をもって未来に進もうとあいさつしました。
献花は魯迅令孫と家族、中国大使夫妻、新潟総領事、紹興魯迅記念館、東北大学、宮城県、仙台市、県と市の国際交流組織、中国留学生学友会の各代表12人が魯迅之碑に花束を捧げました。続いて中国残留邦人の原告代表らも献花しました。

魯迅の令孫・周令飛氏

 

 

4氏が記念講演

 

 続いて記念講演会が東北大学北門会館で行われました。講師は紹興魯迅記念館の張麗君副館長、東北大学の大内秀明名誉教授、新潟領事館の張袁松教育領事、東北大学の阿部兼也名誉教授の各氏でした。

 

張麗君氏


張麗君氏は「魯迅と藤野先生の出会い」について、110年前、無名だった青年魯迅が仙台に来て、藤野先生の学校教育と日常生活までの指導に深い印象と尊敬の念を持ち続け、作品「藤野先生」を書いたこと、仙台では1961年魯迅之碑の建立、福井市では1964年「惜別の碑」の建立と国交のない時期なのに素晴らしい活動が続けられたこと、これからも中日双方が各種のイベントと人民間のへだたりのない交流を通して世界の平和を実現しようと語りました。
大内秀明氏は、東北大学に魯迅記念館を作って紹興魯迅記念館などと交流を深めていくことが大事ではないかと訴えました。
張袁松氏は「魯迅の留学経験から」と題して、研究者ではない普通の中国人の見方だとして、「紹興は周樹人の故郷であり、仙台は魯迅の故郷である」と日本留学によってより高い視点を得て、中国と中国人の現状をとらえ、国民性の改造と近代化への発展をめざす文学思想を作り出したと述べました。
魯迅のめざした「国民性の改革」は、時空を超越した人類共通の普遍性に関わるのではないかと、魯迅思想の理解を深めたと話しました。

 

 

阿部兼也氏


阿部兼也氏は、魯迅の作品理解について、露探の処刑場面が「吶喊・自序」は斬首、「藤野先生」は銃殺と違っていること、試験問題漏洩事件に登場するトルストイ式の「汝、悔い改めよ」のこと、藤野先生が留学生魯迅に対して「道徳的先進国として敬意を表するが大事、親切になし丁寧に導くが…唯一之武器」と手紙に書き、作品「藤野先生」の「小にしては中国のため、大にしては学術のため」は周囲にも実際に語っていたことなどを解明しました。
(宮城県連合会・事務局長)

 

 

魯迅の留学関連プロフィール

 魯迅(1881〜1936年)は1902年春、浙江省の官費留学生として日本へ渡り、 東京の 「弘文学院」に入学。04年9月から06年まで仙台医学専門学校(後の東北大学医学部)に留学。1年のとき、藤野厳九郎先生のもと解剖学を学ぶ。
06年3月に仙台医専を退学、「文学」の道を進むことを決意。のちに作家「魯迅」として執筆した短編小説「藤野先生」には、異郷の地仙台での学生生活、文学への転向を決意する彼の心の動きが、ひとりの教師との交流を素材として綴られています。
代表作『阿Q正伝』はじめ、多くの小説、随筆、評論を発表、外国文学の翻訳、紹介にも努め、中国近代文学の祖と称されます。

 


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