日中友好新聞
中国からの引き揚げ漫画
絵本となって復刻
『もう10年もすれば…』
森田拳次「夕陽めがけて」
引き揚げのつらさ、痛みを象徴するように無蓋車が走る
1946年に、中国満州≠ゥら日本に引き揚げてきた子どもたちも、いまは70歳前後となり老境にさしかかっている。亡くなった人も多い。
目をつぶると瞼に浮かんでくるのは引き揚げ列車を導くような赤い太陽。初めて見た海の青さ。たどり着いた日本の緑色の美しさ。心に染み込んだ情景を描いたのは中国引き揚げ漫画家の会の会員たちで漫画展を開いた。
日本中国友好協会も2010年から13年にかけて中国引き揚げ漫画展を北海道から沖縄までの各地で開催した。大勢の人びとに見ていただいた。画集がほしいといわれる方も多かった。
いま、その引き揚げ漫画が『もう10年もすれば…』という絵本になった。原本の画集『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』から、引き揚げ行の記憶作品を選んで今人舎が出版した。
この絵本から過去を見つめて戦争の歴史を忘れず、今日の希望、明日への平和を願う漫画家のイメージが見えてくる。中国満州≠ゥらの記憶―引き揚げの重み、痛み、喜び、悲しみをかみしめている。引き揚げを知らない人たちに、その事実を語り伝えて対話を生み出している。漫画の力がここにある。
引き揚げ行、始まる
赤塚不二夫は「でっかいリュック背負って…」 母の手をしっかりつかんで妹たちと手をつないで駅に向かった。母も子どもも必死だった。母と子の強い絆。いまもわが手に残る握りしめてくれた母の手の熱さ。
引き揚げ用の無蓋車に乗せられた。すしづめで、用も足せない。森田拳次の「夕陽めがけて」は、父親に支えられて無蓋車から子どもの生きているエネルギーが弧を描いて飛び出す。
引き揚げ列車はよく止まった。止まると夕映えのなかを船が出るという葫蘆島めざして、大人も子どもも黙って前に歩く。ちばてつやは「赤い夕陽のなかを…」で、故郷への強行軍をとらえた。
汽車が出る都会に向かう山野で、歩けなくなった開拓村の人びとの悲惨も、ちばてつやはイメージする。20万人以上の女・子ども、老人が中国の土と化したことを、あるいは残留孤児となって助けられた事実を忘れてはならないと訴える。
上田トシ子は、引き揚げ途中でぶつかったこわいこと、道中のつらいことを年長の女性らしい、おおらかさとユーモアで描く。
絵本『もう10年もすれば…』表紙ちばてつや
葫蘆島で出航を待つ時
引き揚げ船の出航まで子どもたちを楽しませてくれたことを北見けんいちが思い出す。リンゴ3個が一等賞の駆けっこだ。母と兄弟2人でたどりついた港で見た母の涙、飛んでいたトンボも忘れてはいない。
ちばてつやは、引き揚げ船の巨大さに圧倒されながら安心感もおぼえる。横山孝雄は、持ち帰り禁止のお宝を処分する残念さをにぎやかに見せる。
北見けんいち「葫蘆島に着いた」、海が青かった
船の中で食べたもの
ちばてつやが引き揚げ船で大切に食べたのはカンパン4個と薄いスープ。山口太一の場合、乗船1日目に白米ご飯が出た。みんな船酔いで、太一1人がもりもり食う姿には、おかしさをこえて子どもの哀しみが漂う。
日本に着いた!
日本を初めて見た美しさが、赤塚不二夫にも北見けんいちにも驚きとなる。内地が見えた!と、大人たちの歓喜ぶりをちばてつやは見ている。長い苦労に耐えて、生還できた喜びの瞬間を確かな記憶力でそれぞれが絵に表わしている。
林静一は、1歳の自分を抱いて帰国した母への恩愛を静かに描く。見つめ合う母と赤ん坊。そのまま引き揚げ母子像となって立つ。生き抜いた万感の思いがにじみ出てくる。と同時に引き揚げに尽くしてくれた中国の人びとへの感謝の念もまざりあう。
引き揚げ漫画家で上田トシ子、赤塚不二夫、山口太一が亡くなった。その命がここに刻まれている。(石)