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日中友好新聞

中国・日本わたしの国 今夏全国上映 ちと瀬千比呂監督作品
ドキュメンタリー映画 ふたつの祖国$カき抜いた一女性の半世紀

 

「中国・日本 わたしの国」ワンシーン (C)パル企画

 

  本紙2月5日号の「私と中国」欄に登場した山田静さん。中国・日本の二つの国を祖国と呼ぶ中国残留孤児2世。そのすさまじくも感動の半世紀を描いた映画「中国・日本 わたしの国」が6月下旬、ユーロスペースから順次全国各地で上映される。


肝っ玉母さん≠ウながらに


 東京の葛飾区亀戸駅のタクシーの女性運転手がこの映画の主人公。偶然出会ったこの女性ドライバーの何にひかれたのだろうか。
 ちと瀬さんは「中国人の父、日本人の母。これだけなら他にもたくさんいる。だがその違いは、静さんのすさまじくて感動的な生き様とその人柄にある」と話す。満鉄技術者だった静さんの祖父は、終戦後中国で「留用」され残留。その娘が中国人の父と結婚、1954年静さんが生まれる。
 静さんは、日本人の血を引くことによる言語に尽くせない辱め、日本人であるがゆえに共産主義青年団に入団できなかった屈辱、そして「文化大革命」時代の隔離審査など、「怒」を基調にした激しい告白を続けた。その一方で、25歳で死別した母の話になると童心に帰ったような表情を見せる。
 成長後の人生も平坦ではなかった。中国と日本で3度の離婚(2人は中国人)と4回の結婚、その4人の異父兄妹すべてを自分ひとりで育てた。
 大連時代(1980年)には、内装業の会社を経営し得た多額の利益も貧しい人たちに「返済不能」を承知で融資した。大変な肝っ玉母さん≠ナある。そして大病(腎臓)を患い手術。逆境のなか波乱万丈の半生を体験した。



先達への敬慕、親族を大事に


 撮影のほとんどは、大連に眠る静さんの母の墓参同行記である。出演者は、高齢だが健在の父、その後妻、姉、同行した子どもたち、さらに元の夫や子どもの祖父母。静さんと接点のあったほとんどの人物が登場する。そのなかで最も強い印象を受けたのは、「静さんの年配者を大切にする姿、自分が犠牲になっても子どもと家族を守り抜く献身的な姿勢だった」と言う。
 映画のなかにその場面がある。上海に住む2番目の夫の父母、子どもの祖父母に会いに行った時だった。義父との20年ぶりの再会では、入院中の義父の手を握り、満面の笑顔で接し、心から先達を敬う無垢な表情を見せた。そして「100歳まで生きてよ」と励ました。この何ともいえない人間性に「自分に一番欠けていたものを感じた」と、ちと瀬監督は話す。
 幼年期を大連で過ごし、大陸での敗戦体験を描いた「鶸(ひわ)」(「砲撃のあとで」)で芥川賞を受賞した作家・三木卓さんは「僕は、静さんの描写のなかに『乱世』を感じた。この複雑で面倒な材料を、一瞬一瞬で見るものに分からせる。映画はとにかくキレがいい。山田静さんというヒロインとその人生の魅力を見事に描き出している」と、高い評価を送っている。


映画の主人公になった肝っ玉母さん≠アと山田静さん


「中国への無知」から嫌悪感

この映画で日中両国の現状の改善につながればと語るちと瀬監督


映画製作の基本的な意図に触れてくれた。「中国嫌いが9割もいると聞き違和感を覚えた。『好き・嫌い』と簡単に言うが、あまりにも中国を知らない人が多いのではないか。メディアが作った嫌悪感に大きく影響されている。もっと中国と中国人を知ったら好きになるのではと思う」。 そして「この映画で、日中戦争に翻弄された一女性の生き様を知り、日中の歴史と未来のあり方を探ることによって中国に親しみを感じる人を増やしたい。それが少しでも現状の改善になれば」と笑顔で結んだ。(宣)


▽問い合わせ=パル企画TEL03(3847)3141


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5月15日号は休刊とさせていただきます。次号は5月25号をお届けします。(編集部)

 

 


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