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日中友好新聞

2014年4月25日号1面
望郷の鐘〜満蒙開拓団の落日  
劇映画製作へ 主役の内藤剛志さんら記者会見

 

記者会見に臨む山田監督(左から4人目)、和田氏(その左隣)ほか出演者たち

 

 「現代ぷろだくしょん」が日本の中国侵略戦争で多くの犠牲者を出した満蒙開拓団の悲劇を題材にした「望郷の鐘」の映画化を決定し製作を開始しました。
 4月4日、山田火砂子監督、原作・脚本の和田登さん、主役を演ずる内藤剛志さんらが記者会見を行いました。

「戦争への危険な動き」への警告が動機


 製作の背景について、山田監督は「昨年来秘密保護法の成立、靖国神社参拝、歴史認識の見直しなど日本が再び戦争への道に走り出したという危惧を強くもっています。悲惨な戦争を体験した世代として『国民は二度と騙されてはいけない』という思いが強くなりました」と語りました。
 さらに「日中戦争は真実が知らされず、満蒙開拓団として大勢の民間人が中国大陸に夢を抱いて向かいました。日本の敗戦が明らかになってからも1945年5月1日には長野県から、8月4日には東京から多くの人が中国に行き膨大な犠牲者を出したのです。その轍(てつ)を二度と踏んではいけない」と力を込めます。
 和田登さんも「若い世代は無論のこと、戦時体験者・非体験のおとな世代もこの映画を見て『歴史の真実を』改めて整理し次世代に正確に継承して欲しい」。「山本慈昭さんは、死ぬ間際まで残留孤児のことを口にし続けました」と、一庶民の戦後処理の誠実なあり方の典型についても語りました。


責任と使命感もって演じたい


 主人公の僧侶・山本慈昭さん役の内藤剛志さん、慈昭の妻役の渡辺梓さん、慈昭の娘役の星奈優里さん、記者役の山口馬木也さん、勝又さゆりさんもそれぞれの思いと決意を力強く語りました。
 内藤さんは「私も来年は還暦、父母の戦争体験を身近で知る最後の世代です。戦争の話は他人事とは思えません。やりがいのある役をいただいて身が引き締まる気持ちです」。
 渡辺さんは「学校では習わなかったので、この話をいただくまで『満蒙開拓団』のことは知らなかった。私の2人の子どものためにも平和を守らなくては」。
 山口さんは「満蒙の歴史は負の遺産です。この映画を多くの人に見てもらいプラスの遺産にしたい。責任と使命感をもって演じたい」。
 星奈さんは「祖父母に戦争時代の辛さを聞いたことがある。勉強して精一杯頑張りたい」。
 勝又さんは「この映画を通じて、全国・全世界に平和をアピールしたい」。
 出演者はこのほかにも、丹阿弥谷津子、磯村みどり、堀内正美、常盤貴子さんらベテラン俳優が脇を固めます。


山田監督(左から2人目)と出演者


「戦争の話は他人事とは思えません」と内藤さん


悲壮ではなく 明るく話題になる作品に

 山田監督は「題材は悲壮で重いものですが、親子や、小中高校学生など若い世代も楽しく見られるように、明るく時には笑いを誘うような内容にしたいと思っています」と話し、内藤さんも「監督の期待に応えて、内藤慈昭になりきって演じたい」と意気込みます。
 ロケ地は「満蒙開拓平和記念館」のある長野県下伊那郡阿智村が中心になります。満蒙開拓団の逃避行は、敵陣に見つからないように主として夜間でした。しかし、暗い画面だけでなく日本有数の美しい農村風景の長野県を舞台に見栄えのあるものにしたい意向です。11月頃(予定)の完成を目指し、完成後は全国の劇場公開や自主上映が行われます。(宣)


物語のあらすじ

 

 ▽日本の敗戦が鮮明になった1945年。満蒙開拓団として日本を発つ一団があった。信州は伊那谷の貧しい三村からなる安知郷開拓団。政府は、東京大空襲の被災者までも疎開開拓の名の下に旧満州へ送り込むような時代であった。
 ▽この物語の主人公、山本慈昭は教員免許をもつ妻とともに「団に加わって欲しい」という村の有力者達の再三再四にわたる懇願に悩んでいた。彼は寺の住職にして、国民学校の教師であった。やむなく1カ年という約束で幼い、秋子・冬子とともに北満の現地に向かった。しかし現地は野火でことごとく焼け野原となっていた。間もなくソ連参戦の報が入り、団は火事場のような騒ぎとなり、降りだした雨の中の逃避行が始まった。長い逃避行の末、団はついに力尽き涙の解散式を行なった。慈昭とともにした一行は親切な中国人村長に救われたが、やがてソ連兵が管理する収容所に入れられ、飢えだけは凌ぐことができると希望をもった。が、それもつかの間、慈昭はシベリア送りとなった。2年間の重労働から解放され帰国した慈昭が耳にしたのは、安知郷の帰還者は僅かで他は全滅との話であった。妻や子は他の教え子とともに死んだとも聞いた。その後、元団員の老人が死んだ。「慈昭さんの奥さんと秋子さんは死んだが、長女の冬子さんら15人ほどの子どもたちは生きている」との秘密の告白を残して。
 ▽この告白が慈昭を力づけ「孤児救出」の決意に力を与えた。これを機に「残留孤児探し」に大きく踏み込んだ慈昭は運動の先頭に立ち、遂には国を動かし、次々と孤児が発見され帰国や里帰りが実現した。ようやく冬子と再会できたとき慈昭はすでに80歳を越えていた。やっと故郷でめぐりあった親子水入らずで食べるジャガイモ。それは雨の中の逃避行の際に食べたあの味…であった。



製作・鑑賞券の協力を

 日本中国友好協会は後援団体になっています。本部のほか、北海道連・山形県連・愛知県連・大阪府連・兵庫県連・広島県連・長崎県連・大館支部・宇都宮支部・埼玉西部支部・奈良支部・滋賀県支部・岡山支部・大分支部・沖縄県支部(4月4日現在)が後援しています。さらに多くの連合会・支部の後援を呼びかけます。映画製作費を公募しています。1口1000円で完成後は鑑賞券として活用できます。


▽問い合わせは

 日中友好協会本部
 TEL03(3234)4700 FAX03(3234)4703
 E-mail=nicchu@jcfa-net.gr.jp
 

 現代ぷろだくしょん
 TEL03(5332)3991 FAX03(5332)3992
 E-mail=gendaipro@gendaipro.com

 

 

 


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