日中友好新聞
2014年3月25日号1面
国際シンポ
「日中関係の源流をさぐる」
困難打開の道筋を討議
「現代日中関係の源流をさぐる 再検証1970年代」国際シンポジウム会場
日中70年代再検証シンポジウム実行委員会(代表=高原明生・東京大学法学部教授)は3月8日、東京都内で国際シンポジウムを開催、200人以上の研究者や市民が参加して、熱い討論に耳を傾けました。
日中関係の悪化を憂えて日本の中国研究者が「新しい日中関係を考える研究者の会」(代表=毛里和子・早稲田大学名誉教授)を立ち上げ、研究者として何ができるか、を問いかけながら、その具体的な第一歩の活動として開催したもの。今後の反響が大いに期待されます。
シンポジウムでは、日中両国関係の淵源をさぐり、日中国交正常化を実現した1970年代に光を当て、再検証を試みました。
米日中の学者が基調報告
第1部では「日中関係の原点としての1970年代」と題して、米日中の3人の学者がそれぞれ基調報告を行ないました。
「アジアの平和と日米中関係」(ボーゲル氏)
エズラ・F・ボーゲル氏(ハーバード大学名誉教授)は「アジアの平和と日米中関係―70年代を回顧する」をテーマに発言。
アメリカと中国の関係を69年の中ソ衝突とその後の毛沢東とエドガー・スノーの会見などに遡り、両国の接近をもたらした経緯、そしてニクソン・ショックと言われる訪中と日本の対応、日中国交正常化を巡り双方の置かれた立場等を豊富な知識を駆使して解明しました。
また、80年代から90年代の両国の指導者と良好な関係、90年代半ばからの厳しくなっていく過程、そして最近の日中関係は80年代と比較しても難しくなっていること、だからこそ双方の相手国への非難を弱めることが肝要で、両国の指導者が緊張を緩和させることは可能だと説明しました。
「1972年体制の不完全性」(毛里和子氏)
毛里和子氏(早稲田大学名誉教授)は「1972年体制の不完全性」について述べ、当時の日中外交交渉は交渉の契機が米中接近だったこと、交渉まで準備ができなかったこと、中国側に国内的合意がなかったこと、戦争終結の処理や謝罪の仕方、賠償放棄に対する日本側の謝意、賠償に代わる謝罪の提案、将来的な戦争問題処理の方案などの欠如について、双方がそれを自覚しなかったことが、結局は「和解」への見取り図を欠いたままの出発だったと指摘。
最後に「72年体制はゴールではなく、スタートである」と結び、日中共同声明の精神に立ち戻り、国民の和解の見取り図を作っていかねばならないと訴えました。
「70年代の中日関係」(歩平氏)
歩平氏(中国社会科学院近代史研究所前所長)は、「中国近現代史の中の70年代中日関係」について報告。日中国交正常化の基本条件に平和の追求があったこと、日中国交正常化後の残された課題は歴史問題であること、国交正常化がもたらした中米日3カ国の政治的・経済的関係性ついても言及。平和的東アジア共同体を建設するために自ら知恵と才能を発揮することに期待したいと述べました。
基調報告を行なったボーゲル氏(左)、毛里氏(中)、歩平氏(右)
若い研究者が熱心に討論
第2部は2つのセッションに分けて、「日中関係の原点」、と題して日中の若い研究者の問題提起を中心に報告のほか、討論も行われました。
井上正也氏(香川大学)「角福戦争と日中国交正常化」では国交正常化は田中角栄でなければできなかったのか、と問い、「田中角栄神話」がその後の日中関係のあり方を歪めた、との大胆な報告を行いました。
また、三船恵美氏(駒澤大学)が「両国の間の1972年までの不正常な状態は、1972年の共同声明が発出される日に終了する」の合意に立ち返るべきであり、さらに「日本国民は、日中戦争が間違った戦争であった、という認識を忘れてはならないし、中国側は一握りの軍国主義者と大多数の一般国民を区別する政策をとったことを忘れてはならない」と強調したことが注目されました。
その他、中国、台湾からの参加者の報告もそれぞれの専門分野から深く追求していることが特徴でした。
報告に続き、討論で問題点がそれぞれ深められ、最後は総括ラウンドテーブルで基調報告者らが意見を出し合いました。
山田辰雄氏(慶応義塾大学名誉教授)は閉会あいさつで「日中問題はそれだけでなく多国間関係でもある。未来に向け、日本側は今日の成果を300人にそれぞれ語りかけ、中国側も日本の情勢で間違ったイメージが伝えられたら勇気をもって修正していってほしい」と訴えました。
(田中・押見)