日中友好新聞
2014年3月15日号1面
中国若者の日本語作文通じ
草の根の友好¢」進 〜段躍中さん
本紙に連載されている「日本と仲良く 中国若者の思い=日本語作文集」。多くの読者から「素晴らしい作文、感動した」との共感が寄せられています。発行者の段躍中さん(日本僑報社編集長・日中交流研究所所長)にその目的、成果、展望について聞きました。
「9回の作文集」
読者は世界に及ぶ
「中国人の日本語作文コンクール」は2005年から始められ、昨年第9回を迎えました。その受賞作文は「作品集」として毎年刊行されています。年ごとの「表題」を振り返ってみると、その時々の日中関係をめぐる動きのなかでの中国の若者の心情が率直に反映されています。
「日中友好への提言」(第1集・05年)に始まり、「壁を取り除きたい」、「国という枠を乗り越えて」、「私の知っている日本人」、「中国への日本人の貢献」、「メイドインジャパンと中国人の生活」、「甦る日本!今こそ示す日本の底力」、「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」、「中国人の心を動かした『日本力』〜日本人も知らない感動エピソード」(第9集・2013年)に至っています。
読者は日本全国の他、中国大陸・台湾・香港とシンガポール・アメリカ・ドイツなどに及び、大変な反響を呼んでいます。
来日し衝撃受けた日本の「中国批判報道」
作文集は「表題」から分かるように、その基軸には「国民間の友好」の視点がしっかりすえられています。段さんは中国では「中国青年報」(中国共産主義青年団機関紙)の記者をしていました。
1989年の「天安門事件」を機に来日。初めて見た外の世界、そこで大きな衝撃を受けたのは中国批判が国中に溢れていること。政治的な問題はもとより、どこにでもある些細な犯罪でも、こと中国となると「針小棒大」な報道が目立つことだったといいます。
中国人というだけで犯罪者扱いされるのには我慢ができず「中国の良い面も日本人に知ってもらいたい」との思いから出版社を創立しました。
そこで最初に着想したのが日本で活躍する中国人の情報をまとめた『在日中国人大全』(日本僑報社初の出版物)の刊行と「これからの日中友好の担い手である中国の若者の日本感をそのまま伝えたい」というもの。コンクール作文集のスタートでした。
最悪の情勢下でも
3000人が応募
外国語課程をもつ500近い中国の学校に「日本語作文の応募」を呼びかけました。最初は少なかったものの、回を追うごとに応募者が増え、いまでは毎年平均3000人、延べ2万人を超えています。
昨年の第9集の応募時は、尖閣(釣魚島)問題で最悪の日中関係のなか減少が心配されました。しかし166校(大学・専門学校、高校、中学校)から2938作の応募がありました。日本との関係が険悪ななかで、中国で日本語を学ぶ応募者たちは、周囲の人びとの目を気にしつつも、日本の良いところを認め、素直な感動を生き生きと描いてくれたものばかりでした。
段さんは「ここに日中友好の真の姿を見た思いです。こうした心の通う国民交流と相互理解をもっともっと大きくすれば、いろいろな政治的な事件が起こっても国民間の友好と信頼は崩れないでしょう」と自信をのぞかせます。そして「死ぬまでに500冊は出したい」と意気盛んです。購読者や大使経験者、政財界の友好人士の後押しも広がり展望は明るいと感じました。
300回も続く
公園での「漢語角」
段さんがもうひとつ続けていることがあります。住まいのある東京池袋の公園で、毎週休まず続けている「星期日漢語角〜日曜日の中国語サロン」です。300回を超え、延べ1万2000人が参加しています。
自己紹介だけを日本語・中国語で行い、2時間以上両国語で立ち話をします。最初はギコチナサがありましたが次第に溶け合い友人になります。「日中友好の活動そのものでしょう」と段さん。
目標は「漢語角」を日本に100カ所作ること、いま大阪、名古屋にも広がりつつあります。協会の活動にも生かせるヒントをもらった思いでした。
(宣)
段躍中さんプロフィール 1958年、中国湖南省に生まれる。中国の有力紙「中国青年報」記者・編集者を経て1991年来日。新潟大学大学院で博士号取得。1996年「日本僑報」を創刊、1999年出版社「日本僑報社」を設立、刊行書籍は260点を超える。2005年から日中作文コンクールを主催、2007年から「星期日漢語角」、2008年から日中翻訳学院を主宰。主な著書に『現代中国人の日本留学』『日本の中国語メディア研究』など。 HP=http://jp.duan.jp/