日中友好新聞
2014年2月15日号1面
「繰り返すなこの悲惨な歴史」
次世代に平和の大切さ発信
「満蒙開拓平和記念館」を訪れて
北中一永
満蒙開拓平和記念館前
東京を車で出発して約4時間、右に中央アルプス、左に南アルプスを望む長野県飯田盆地に入る。「満蒙開拓平和記念館」はその一角、阿(あ)智(ち)村にあった。
開館8カ月、2・5万人来館
よく知られているとおり、「満蒙開拓団」は、政府の国策によって全国から27万人もが送りだされ、悲劇的な末路をたどった。その史実を忘れず、後世に語り継ぐために、昨年4月25日、長野県下伊那郡阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が誕生した。
史実の重さにもかかわらず、これまでは同様の施設が皆無であったため、関係者だけでなく一般からも画期的な意義のある出来事として大きな反響を呼んだ。
そして、開館以来8カ月余で2万5000人を超える入館者を迎えている(2013年12月末現在)。
阿智村に入ると、あちこちに真新しい案内板があり、村としても大切な施設として歓迎している様子が感じられる。阿智村は土地を無償で提供したという。それもそのはず、渡満者は飯田市や阿智村のある下伊那地域が長野全体の4分の1―8400人を占め、阿智村からも1000人強が海を渡っている。人びとのなかに痛恨の歴史が伝承されてきた土地だからだろう。
地元の木材を使った館内
各種資料60点や書籍を展示
中央自動車道・飯田山本I・Cから10分で館に到着。しっかりした造りで、地元の木材をすべて使用して建てられており、外観・内装とも清潔で落ち着いた雰囲気だった。明かり取りになった天井は鎮魂の意味を込め、大聖堂をイメージしているという。
館内は、元開拓団や遺族らが寄贈した1800点の資料のうち60点、2000冊の書籍、国策によって募集された経緯、現地での生活、ソ連参戦と逃避行、残留孤児問題と、時系列で展示されている。残留孤児救出に人生をかけた阿智村の僧侶・山本慈昭についてもスペースをとっている。元「開拓団」員の語り部が体験を伝えるセミナー・ルームもあった。
三沢亜紀事務局長が応対してくださった。「なぜ下伊那からの開拓団が多かったのか」という質問には、「昭和初期、主力産業だった養蚕業が折からの世界恐慌で打撃を受け、困窮した農民が、『満州へ行けば20町歩の地主になれる』という宣伝に乗せられた。もともと豊かでなかったので、南米移民などの歴史も前からあったのも一因」という答えが返ってきた。
館が最も重要と考えていることは、「この悲惨な体験を多くの国民に知ってもらい、二度とこのような事が起きないようにするとともに、平和の大切さを次世代に伝え発信して行くこと」と語った。
展示室には60点の資料を陳列
感動と驚き―参観者の感想
館内には感想を書くコーナーがあり、壁に多く張りだされていた。どれも感動と驚きを伝える内容だ。一部を紹介する。
「家族で来館しました。苦しい時代に希望を持って行った満州。現実の厳しさは想像するだけでも苦しくなります。同じことを繰り返さない。忘れてはいけない。これからを精一杯生きて行かなければならないと思いました」(29歳女性、住所記入なし)
「日本人の過去にこんな悲しいことが有ったなんて想像もしていませんでした。それだけ今が平和なんだなと改めて思います。生きることの大切さを感じました。戦争をしようなんてどうして思えるのか、それだけがどうしてもわかりません」(16歳女性、飯田市)
「満蒙開拓の悲惨極まりない歴史を忘れずに。二度と戦争しないことが日本人にとって本当に大切なことです。平和で助け合う社会であってほしい。私は昭和17年、満蒙開拓青少年義勇軍に参加した一人です」(85歳男性、千葉県)
「すごくかんどうした。泣きそうになりました。日本は平和な国でありがたいと思った。戦争は絶対にしない!! やっぱり平和って大切だと改めて思った」(12歳女性、長野県)
「本当にせんそうはこわいとわかりました。これからは平和うん動にさんかしたいです」(8歳女性、愛知県)
(東京都連副理事長)
感想コーナーにはたくさんの感動の声が寄せられている
満蒙開拓平和記念館
●住所=長野県下伊那郡阿智村駒場711―10 TEL/FAX0265(43)5580
●開館時間=午前9時30分〜午後4時30分(入館は4時まで)
●休館日=火曜日(祝祭日の場合にはその翌日)、第2・4水曜日、年末年始等
●入館料=一般500円(団体400円)※団体20人以上
小中高生300円(団体200円)※団体20人以上
●交通=JR飯田線「飯田」駅にて下車。タクシーにて約25分または路線バス駒場線を利用約30分「学校前」バス停にて下車、徒歩約15分。