日中友好新聞
2014年1月15日号1面
2014年をいい時代に
倍賞千恵子さんが熱い思い語る
年輪を重ねて映画女優の輝きを見せる倍賞さん
「男はつらいよ」のさくらで寅さんを長年ささえてきた倍賞千恵子さん。渥美清とは本物の兄妹のように見えたものだ。
1963年にそのヒット曲が山田洋次監督の映画「下町の太陽」となった。働く青春をさわやかに主演して、たちまち下町のヒロインに。映画の世界に入って50余年。出演映画は170本になる。1月25日公開の山田監督がこの国はどこを向いているのかと訴える「小さなおうち」で自伝を書く女性を魅力的に見せてくれる。
日中合作映画に出演
日中合昨映画「東京に来たばかり」で、蒋監督から「倍賞さんじゃなくてはならない」って言われて、20キロもある野菜などを背負って東京に売りにくる“かつぎ屋”のおばあさんを演じた。初めてこんな誘いを受けたのでたいへん嬉しかった。“五十嵐ばあちゃん”と倍賞さんが愛情込めて呼ぶほど、この役は気に入っている。
これは「戦場に咲く花」などの中国の蒋欽民監督自身の東京留学体験を基にした日中人心交流の温かな映画だ。10数年前にこの企画は中断したのが、2011年3・11の後になってようやく実現できた。必ず映画にするという倍賞千恵子さんへの約束を果たした。
おばあさんは「一人できちんと背筋をのばして生きているんですね。謎の部分がありまして、囲碁の名人だった。台本読んで着物の裾さばきの音が聞こえてくるくらいイメージがぱっと出てきて、とっても惹かれましてね。変身できるっていうのがかっこいいなーって、それで引き受けました」。
中国青年のばらまいた碁石をひろうのを手伝ったり、バスの中で重い荷物を背負って立つといった場面から五十嵐ばあちゃんにひきつけられる。東京に来た中国青年と出会い、面倒を見るこのおばあさんが、行商のもんぺ姿から、和服を優雅に着こなして碁を打つといった変身ぶりが素敵で、美しい。
言葉越え演出と演技が一つに
撮影現場では「最初は通訳の方を通してじっくりやっていたんですけど、監督がもどかしくなってきて日本語と中国語をまぜた演出になり、だんだん目を見ると分かってきて、監督が身体で表現してくださるんでやりやすかったですね」。日本と中国の映画作りは言葉を越えて演出と演技が一つになっていった。
「久しぶりにこういう現場に出て、国が違ってもみんな違和感なくて、一つの山を、『東京に来たばかり』という山があってそこにみんな登ろうとしている。そういうものを創る世界って、みんな思っていることって同じなんですね」
なにげない景色とか、日本人なら見過ごしてしまうようないい場面がある。「毎日遠い所を通って撮影していたんですけど、監督がよくこんな所を見つけたなって、こんなに日本のいい所がいっぱいあるって、感心するほどでしたね」。日本の風景のなかに生きる日本女性の素晴らしさを中国人監督は描き込んだ。
中国には1日だけ宣伝に行って熱烈な取材を受けた。
「いろんな問題が起きる前にスタートした映画だったんですけれど、中国で公開されてよかった。この映画は人間はどこの国に行っても、どんな人でも何も変わらない。みんな同じ血が通っているというとても優しい気持ちを伝えています。今だからこそ、この映画を見ていただいて、見た方々がいろんなことを考えて下さるといいかなーって、自分もいろいろ考えましたし」と熱く語る。
熱い心でこの一手を
中国引き揚げの山田洋次監督作品に多数出演して、前向きに生きてきた倍賞千恵子という女優の心がきりりと伝わってくる。
「いまの時代は非常に厳しいですが、今年はもう少しいい時代が来てほしいと願っています。囲碁でいえばこの一手というのがほしいですね」
中国には日本映画祭などで何回も行き、コンサートまで開いた。倍賞千恵子ファンクラブもある。「若い人にも、年配の人にも」中国を見てほしいと呼びかける倍賞さんの言葉には、日本と中国がもっと仲良くなってほしいという切実な願いが込められていた。
(石子順)
倍賞千恵子さんプロフィール
1941年、東京都生まれ。60年、松竹歌舞団入団。61年、「斑女」(中村登監督)で映画デビュー。62年、山田洋次監督の「下町の太陽」で初主演。69年から「男はつらいよ」全作に出演。「霧の旗」(65)、「家族」(70)、「幸福の黄色いハンカチ」(77)など。最新作に「東京に来たばかり」や本木克英監督「すべて君に逢えたから」、山田洋次監督「小さなおうち」。