日中友好新聞
2014年1月5日号1面
2014年 新春 インタビュー
山下泰裕さんに聞く
柔道の心は、相手への敬意
スポーツ交流で友好育て促進を
山下泰裕さん
山下泰裕さんは東海大学副学長・全日本柔道連盟副会長などを兼務され、大変お忙しい中で時間を割いていただいたにもかかわらず、「どうぞどうぞ」と気さくに出迎えていただいた。
中国人留学生受け入れの先駆者、嘉納治五郎師範
山下さんは開口一番、日本柔道の開祖・嘉納治五郎師範の業績を紹介してくれた。なんと、嘉納師範は「中国人留学生受け入れの草分け」だったのである。日清戦争(1894〜95年)直後の1896年、嘉納師範は西園寺公望外務大臣から「清国からの留学生受け入れ」を相談された。東京高等師範学校校長だった嘉納師範は自ら設立した東京の弘文学院(後に宏文学院と改称)に10数人の清国留学生を迎えた。
これを皮切りに、その後7000人以上の中国人留学生が来日している。そのなかには、魯迅、黄興、楊度、陳天華、秋瑾、陳独秀、田漢、李四光など、後に中国で名を馳せた多数の有名人がいる。毛沢東の青年時代の師であった楊昌済も日本で学んだ。
嘉納師範は、中国の古代哲学(儒教)を基に柔道を悟ったという。「柔の『道』とは、心身の健康であり、生活の充実であり、人間関係の調和の哲学である」との考えに立ち、「自他共栄」という言葉を残した。
「自他共栄」とは対戦相手、あるいはすべての国は「敵」ではないという意味だという。嘉納氏の考えの基本には“平和の理念”があった。
北京オリンピック選手強化を契機に
山下さんが日中交流に関わったのは2004年6月から。当時、国際柔道連盟(IJF)の教育コーチング理事として上海で開かれた理事会に参加した際、中国柔道連盟の宋副会長から「北京オリンピックまで4年。女子柔道はこれまでたくさんのメダルを取ったが、男子柔道の強化に力を貸して欲しい」と、依頼された。
この時期、小泉首相(当時)の靖国神社参拝をめぐって、日中関係は険悪だったが、山下さんは「私にできることは限られています。しかし、日本でも北京オリンピック成功を多くの人が願っています。できる限り応援しましょう」と、応じた。それを機に06年から中国男子チームを日本に受け入れ強化練習・合宿を行なった。
山下さんは、中国男子柔道強化の決め手は「指導者の問題」だと指摘。そこで、かつて高校柔道界で日本一のチームを育成した光本健次氏を中国に派遣した。「北京オリンピックでの中国柔道男子の結果は振るわなかったが、今後の可能性に期待できると思う」と話す。
そして、中国チームを受け入れて非常に感心するのは「礼儀の正しさです。それは日中の文化交流のために来ていることを良く理解しているからです」と、付け加えた。
青島市に「中日友好柔道館」を建設
北京オリンピックの後、日本の外務省から中国で中長期的な柔道の育成ができないかと相談された。そこで、柔道場を造ろうということになり、しかも柔道に関心の高い所で、「浜辺から世界へ」のスローガンをかかげている青島市が選ばれ、2010年に「中日友好青島柔道館」が完成した。
青島は海に面して奇麗で豊かな砂浜がある。柔道館ができてからは、青島出身のオリンピックメダリストも生まれ、青島市政府の理解も広がり、青島で国際大会を開くまでになった。いまでは、子どもたちが「中日友好青島柔道館」のゼッケンを付け、胸にはバッジを付けて誇らしげに練習に励んでいる。山下さんは「大変嬉しかったですよ」と、笑顔を見せた。
柔道通じて世界の平和と相互理解を
山下さんは、認定NPO法人柔道教育ソリダリティー理事長として日中交流を促進している。これは民間交流を通じて柔道を世界に広げようというものだ。山下さんも「尖閣諸島問題」で異常な関係が続く日中関係を憂慮している。そして事態の改善と打開を心から願っている。
「私にできるのは柔道しかない。多くの方々の支援を得て、柔道を通した交流で海外との相互理解を深めたい。嘉納師範の思いのわずかでも実現し、ほんのわずかでも世界平和、日中友好に貢献できればと願っている」と、締めくくってくれた。私たちの活動にとっても貴重な示唆をもらった思いであった。
(記事・大田宣也 写真・押見真帆)
山下泰裕さんプロフィール
1957年(昭和32年)6月1日生まれ。柔道八段。熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)出身。
東海大学卒業。同大学大学院体育研究科修了。東海大学体育学部教授(1996年〜)、体育学部長(09年4月〜13年3月)、副学長(11年10月〜)、同大学柔道部監督。前全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(92年〜00年)、前男子強化部長(00年〜04年)、強化副委員長(04年〜08年)。前国際柔道連盟教育コーチング理事(03年〜07年)。日本オリンピック委員会理事。全日本柔道連盟理事・副会長。日本オリンピアンズ協会理事。神奈川県体育協会会長。
対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。1985年6月17日、203連勝にて現役を引退。国民栄誉賞を受賞。