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日中友好新聞

2013年5月5日号1面
問題解決まで闘い抜く
「劉連仁生誕100年」墓前祭

 戦時中日本に強制連行され不屈の精神力で闘いぬいた劉連仁さんの「生誕100年墓前祭」が、中国の清明節の期間の4月7日、山東省高密市井溝鎮県草泊村の「記念碑」前で開かれ、子息の劉煥新さんら遺族、各地の強制連行被害者・遺族の代表、地元の知人友人、日本からの26人を含め約150人が参列、「侵略戦争責任追及の手を緩めず勝利まで闘いぬく」決意を固め合いました。

 

「侵略戦争責任追及」の先陣切った劉連仁さん

 

写真1 日本中国友好協会
墓前祭に参加した日中両国の参加者(桐畑米蔵氏提供)

 中国人強制連行・劉連仁事件勝利実行委員会の永村誠朗委員長は「劉連仁さんは、強制連行された約4万人の労工を代表して、1996年に日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟を起こし、翌年東京地裁で勝利判決を勝ち取りました。最終的には最高裁で敗訴しましたが、日本の侵略戦争責任追及の先陣を切った劉さんの闘いはその後の戦後補償闘争の道を開くものだった」とその先駆的意義を強調しました。
 北京の康健弁護士は「3月31日、中国の5つの被害者組織が自発的に集会を開き団結して闘いを前進させることを確認しました。これは今後の闘いにとって何物にも代えがたい大きな力になります」と、中国側の闘いへの決意と展望を話しました。

 

「闘いは終わっていない」勝利まで全力

 

 日本中国友好協会を代表してあいさつした大田宣也副理事長は「日本政府の侵略戦争責任を追及する闘いは終わっていません。劉連仁事件を含め一連の戦後補償事件の最終的勝利まで共に闘いましょう」と決意を述べました。
 高橋融弁護団長は「劉連仁事件をはじめ一連の戦後補償裁判は敗訴になりましたが、被害者原告も弁護団も誰一人として納得していません。いま加害者と被害者の交渉による問題解決への新たな闘いが始まっています。この闘いの広がりが勝利への展望を切り開きます」と、運動の一層の発展に期待を表明しました。
 父の遺志を受け継いで闘ってきた劉煥新さんは「日本の友人・支援者の激励が私たちの闘いの大きな励ましでした。100周年は、新たな闘いの始まりです。一致団結して勝利まで頑張ります」と、力強く決意を述べました。

 

「交流会」で活発な討論 新たな前進へ

 

 墓参、「劉連仁記念館」見学の後、両国の関係者約60人参加の下に「交流会」が開催され、有意義な意見交換が行われました。
 中国側からは、三菱マテリアル山東分会の王万営代表が、中国の被害者5団体が「日本政府と関係企業による謝罪」「謝罪の証しとしての賠償」「強制連行の史実を記載した記念碑建立」の3点で一致し、新たな団結が勝ち取られた経過を報告。
 日本側から、中国人戦争被害者の要求を支える会の大谷猛夫事務局長、同京都支部の桐畑米蔵事務局長、中国人殉難者全道慰霊祭実行委員会の鴫谷節夫事務局長が、それぞれの運動について発言しました。
 中国人強制連行事件弁護団の森田太三団長代行が「中国の被害者が固く団結し、中国国内に強制連行事件をもっと知らせ、中国にある事件関連の日本企業を含めて、問題の真剣な解決なしには中国での営業活動が続けられないことを自覚させるよう奮闘しよう」と呼びかけ、大きな拍手で確認されました。
 墓前祭・交流会に日本側から参加したのは、劉連仁事件勝利実行委員会、中国人戦争被害者の要求を支える会、同京都支部、中国人強制連行事件弁護団、日本中国友好協会、中国人殉難者全道慰霊祭実行委員会の各代表らでした。(N)

 

▼「劉連仁事件」とは
 1937年、日本は中国への全面的な侵略戦争を仕掛け、300万もの日本軍を投入、国内では深刻な人手不足になり、42年政府は「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定、中国各地から4万1764人(2823人が途中で死亡または逃亡)を強制連行し、全国135の事業所(炭鉱や港湾など)に配置しました。そのうち6830人が虐待死あるいは虐殺されました。
 連仁さんも44年、山東省から北海道の炭鉱に連行されましたが、あまりの虐待に耐えかね、45年7月脱走し、戦後の58年に発見されるまで13年間北海道内を逃避行、「穴に隠れて13年」といわれる苦難の生活を送りました。1913年7月25日(旧暦)生まれ、2000年9月2日、87歳で死去。

 

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