日中友好新聞
2012年12月15日号1面
協会主催 国交回復40周年シンポ
今こそ“草の根”友好の前進を
日本中国友好協会は11月17日午後、東京都内で「日中国交回復40周年記念シンポジウム」を開催、晩秋の冷雨降りしきるなか、100人余りの参加者が会場を埋め、第1部(講演)、第2部(パネルディスカッション)の両プログラムに大きな拍手で呼応し、ほぼ3時間にわたった全行事の成功を盛り立てました。
「新聞記者の目から見た日中関係40年」と題して講演する加藤千洋さん
心と心の結び付きが大切
協会本部の田中義教理事長が主催者を代表してあいさつし、尖閣問題をめぐる厳しい情勢の下、いまこそ40年を振り返り、日中友好の新たな40年に向け前進する契機にしよう、と指摘。
シンポ実行委員会の姫田光義委員長(中央大学名誉教授)は、「緊張があるからこそ、“草の根”の市民運動、心と心の結び付きが大切」と訴えました。「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の荒川美智代さんが全体の進行役を務めました。
講演「記者の目から見た日中関係」
100人余りの参加者が会場を埋めた
シンポジウム
第1部では、「新聞記者の目から見た日中関係40年」と題して、加藤千洋さん(同志社大学教授・元朝日新聞記者)が講演。同氏は、新聞記者としてスタートしたのが40年前の1972年で、80年代と90年代合わせて7年間余り、中国に駐在。
80年代は、個々に問題はあったが、日中関係には大きな亀裂がなく、日本の中国駐在記者の報道もプラス面が主流だったと回顧、しかし、その流れが崩れるきっかけは1989年6月の天安門広場事件(学生と市民のデモを軍事力で弾圧した事件)。
その結果、90年代の日本メディアの対中報道は大きく冷え込み、「マイナス中心」へと変化、日本の社会に「嫌中・反中」ムードが広がり、「中国脅威論」が拡散し始めた、と分析。
2000年代以降は、小泉首相(当時)の6年連続の靖国参拝、2010年の尖閣沖漁船衝突事件などがあり、その間、中国の政治、経済、軍事各分野での大国化が進み、両国間のパワーバランスの変化も背景に、日中関係に厳しい状態が続いている現状を説明。
習近平総書記の新体制下でも「この状態は続く」と分析、「しかし、長い冬の先には、水が溶ける時代が必ずやってくる」と展望を語りました。
パネル討論で3氏が「未来展望」発言
第2部は「日中関係の40年を振り返り未来を展望する」の総テーマで、西村成雄さん(放送大学教授)、吉田重信さん(元上海総領事)、大村新一郎さん(協会副会長)が登壇、水羽信男さん(広島大学教授)がコーディネーターを務めました。
西村さんは「『100年中国』の視点から日中関係の40年を振り返る」と題して発言。中国を長期の歴史のなかで見ると同時に、日中関係を東アジア全体のなかで考える立場の大切さを強調、東ユーラシアで進む市民社会の成熟過程に注目しつつ、中国での市民運動の成長に新しい可能性を開くカギがあると述べ、従来にも増して多元的、多面的に中国解読のためのコードを準備する必要がある、と提起しました。
吉田さんのテーマは「いま日本と中国はどうなっているのか」。自らの最近の訪中体験を踏まえて、日中間の尖閣紛争について「前近代的、直線的、三次元的思考では解決が困難」であり、「未来志向的、曲線的、宇宙論的、多次元的思考で解決すべきである」と指摘、当面は、「ともかく事態の冷却化、沈静化をはかり、『棚上げ方式』へ復帰する」必要がある、と提言しました。
大村さんは、「東シナ海を平和、友好、交流の海に」のテーマで登壇。日中関係の現状は、双方の「実力」での対応が悪循環し、不測の事態に至る危険もある、と分析。双方が軍事演習を含め、挑発的言動を慎み、あくまで冷静な話し合い(外交交渉)による解決を追求すべきである、と主張。「このような時だからこそ、草の根の小さな心のこもった交流が大切。小さな交流の一滴が小川になり、大河になり、大海になることを確信して、交流を進めよう」と訴えました。
水羽さんが討論の「まとめ」を行ない、3氏が「友好運動のあり方」について短く「締めくくり」の意見を再発言しました。
協会の長尾光之会長は閉会のあいさつで、シンポジウムでのすべての発言が有意義な内容だったと総括、現在の危機的な日中関係打開のための友好運動を盛り上げたい、と述べました。