日中友好新聞
2012年9月5日号1面
平和のための漫画展がきっかけに
引き揚げ体験を忘れないために
『ぼくらが出合った戦争』刊行
日本中国友好協会は創立60周年記念企画として「中国からの引き揚げ〜少年たちの記憶漫画展」を催してきた。足かけ3年になるが、いまも各地で開かれている。この平和のための漫画展は多くの人びとの胸を打ち、つらい中で生きてきた人間の力に感動のことばが寄せられている。
この引き揚げ漫画展をきっかけに一冊の本が生まれた。『ぼくらが出合った戦争―漫画家の中国引揚げ行』(新日本出版社)で、ちばてつや、森田拳次、石子順共著である。
引き揚げ漫画が手もとにくる
ちばてつやさん(左)は「自作に引き揚げ体験を重ねた」といった
10年前に刊行された画集『中国からの引揚げ〜少年たち記憶』は売り切れで入手不能だ。だからこの本では12人の引き揚げ漫画家の代表作をカラーで収録している。
中国・東北部の生活から引き揚げ列車、引き揚げ船、引き揚げ行の苦難、子どもを守る父と母の力、残留した子どもに対する中国養父。漫画が手もとで引き揚げの日々をドラマのように浮かび上がらせる。何回も繰り返して見たくなる。胸にひびくものがある。
2人の対談が聞こえてくる
『ぼくらが出合った戦争』
(新日本出版社)
ちばてつや、森田拳次、2人のナマの声が聞こえてくる。東京の漫画展会場で行われたそれぞれの対談は石子順が聞き役で熱っぽく盛り上ったが、それは愉快だった。つらいことをはなしているのに笑いが出てくる。2人の語りを加筆・再録した。
ちばてつやは、戦後描いた数多くの人気漫画には引き揚げの体験をひそませているといった。引き揚げ船で食べることやデビューの秘話などを語った。生きる喜びがあふれる。
森田拳次は、失われていく引き揚げの記憶をいま残していくことの大切さを強調。引き揚げとその後の苦労も語り、小学生でもらった原稿料が病みつきとなって“間違いの道”漫画家になった。
引き揚げ少年がどのようにして漫画家になれたか。“没法子(どうにでもなれ)精神”−これでいいのだという思いが漫画として躍動している。
日本の侵略戦争を合理化
引き揚げ行は、引き揚げる日本人の回想、語り、手記などでさまざまな悲惨と苦労が伝わってきた。ところが中国側がどのように日本人の引き揚げにかかわったのかということは知られていなかった。
1946年は国共内戦激化の年で、四平攻防戦、長春争奪戦と、その生死緊迫状況はきびしくて、日本人の引き揚げなどかかわれない有様だった。ところがそれを中国がやってくれた。
1946年末までに105万人以上の日本人が帰国できた。その裏側にあったもの。国民党政府軍も、東北民主連軍(元八路軍)も日本人引き揚げのために戦火を収めて協力した。その力は何だったのか。この本は日本で初めてその事実を発掘した。
引き揚げ漫画家の足跡を見る
森田拳次さん(前列中央)を囲んで
引き揚げてきて漫画家になったのは、上田トシ子、赤塚不二夫、山口太一、ちばてつや、森田拳次、古谷三敏、北見けんいち、高井研一郎、山内ジョージ、横山孝雄、バロン吉元、林静一たちだ。彼らが引き揚げてきて戦後漫画界に果たした役割を振り返ってみた。するとすごい足跡が残されている。
戦後50年にみんなで「中国引揚げ漫画家の会」をつくった。その共通の願いは、自分たちのつらい思いは子どもたちにさせたくない。引き揚げという事実を描いて永久に残しておこう。自分たちの体験を漫画で大勢の人たちの共通の記憶にしていこう。戦争を二度と起こしてはならないということである。
この本は、そういう漫画家たちの協力によってできた未来につながる一冊である。(石子順)