日中友好新聞
2012年02月15日号1面
台湾の人形劇に魅せられて
文化交流で広げたい友好の心
金川量さん(人形師・京劇俳優)
中国・台湾・日本を股に掛けて“芸一筋”に生き抜いている人がいる。金川量42歳。
初対面の第一印象は「人懐っこい人」だった。話を聞くと「なるほど」と納得した。その道で、それだけ苦労を積んできた人だった。
日本では「横浜夢座」(五大路子座長)公演、「赤い靴の女たち」(香山美子主演)などにも出演、修行を積んでいる。2008年の協会主催「北京風雷京劇団」全国公演を舞台裏から支えてくれた人でもある。
小学3年で「京劇」と出合う
台湾布袋戯を演ずる金川さん
端緒は、小学3年の頃テレビで「中国京劇院」を初めて観た。その面白さに惹かれた…その感受性の鋭さにまず驚かされた。
中学校時代には、森繁久弥らが日本の華僑を演じた映画「喜劇・駅前飯店」に釘付けになり、芸事への感心をますます高め、以後「芸に生きる」と決めたという。その時につけた芸名が“チャンチンホイ”、インチキな中華な響きである。
社会人になってトニー谷の「ソロバン芸」や、日本舞踊の名取資格取得。
京劇の本場で修業を重ねる
台湾布袋戯の国宝・陳錫煌大師(右から3人目)、その弟子、呉栄昌師匠(右から2人目)と金川さん(右端)
1990年、念願だった「京劇」の本場へ足を運び、欒祖迅(北京京劇院俳優)師に師事、毎日朝から晩まで「京劇びたり」の修行を2年と少し…。
「将来は、日本で活動をしたい」という願望を持っていた量さんは「中国の歴史や題材だけの京劇…本土から来日する公演ならばそれで良い。
中国の芸能を、日本を基盤として公演するのなら、それだけでいいのだろうか。中国人の情緒と日本人の情緒は、やはり違う。中国の物語の中に、もう少し日本人の琴線に触れれる情緒も含ませたい」という気持ちがわいてきたという。
そんな時に出会ったのが「台湾布袋戯(人形劇)」だった。
「日本人の琴線に触れる中華人形劇」を演じたい
呉師匠と衣装をまとった金川さん(左)
2008年から台湾に渡り「布袋戯」を学ぶ。台湾布袋戯の国宝・陳錫煌大師、その弟子、呉栄昌に師事した。
台湾の布袋戯は大陸から渡り200年の間に独自の芸能に発展してゆく。日本統治時代には、水戸黄門、丹下左膳も演じさせられたという。
その大きな魅力は「手袋のように手にはめて操る小さな木偶だが、細かな感情表現から京劇にも負けない大立ち回りも表現できる。伝統だけどエンターテインメントである。役者が自由に芝居、表現を変え発展させていい…キャスト、スタッフも少なくてすむ(苦笑)」。量さんは熱っぽく話す。
そして「中国の物語を基本とした歴史設定、登場人物だけども、日本語で、日本の情緒を物語に含ませ、日本人の心に溶け込む、布袋戯(人形劇)を作りたい」
しかし、まずは伝統をシッカリと学ぶこと、そして、あまり日本に知られていない台湾布袋戯の素晴らしい公演も紹介していきたいという。
3年前から続いている日中友好新聞新春号の漫画「張爺、お話して!」の張爺のモデルは、彼である。(宣)
金川量(かながわ・りょう、チャンチンホイ)さんプロフィール
1969年生まれ、福岡出身。1989年、北京京劇院 丑(道化)角俳優・欒祖迅に師事。同年、北方崑曲院 俳優・載祥麒に師事。
1999年、中国中央電視台「北京国際京劇コンクール」にて金龍奨受賞。2006年、中国戯曲(京劇)学院進修課程修了。同年、元中国京劇院 丑(道化)角・寇春華に師事。2008年、台湾布袋戯(人形劇)「弘宛然」団長・呉栄昌に師事。
2009年、中国人形劇・布袋戯劇団旗揚げ。2010年、中国人形劇布袋戯《日本河洛坊》開設。同年、布袋戯(人形劇)劇団名「著微布袋戯団」師・呉栄昌より団名を得る。
2011年、台湾・台北に布袋戯修行のために留学。同年10月17日、「弘宛然」団長・呉栄昌に正式に弟子入り。
その他、中国・日本国内の京劇や舞台公演、ドラマなど多数出演。京劇・得意演目《小上墳》《小放牛》《秋江》《双下山》《打城皇》《拾玉zhuo》《烏盆記》《春草闖堂》《辛安駅》など。