日中友好新聞
2012年2月5日号1面
「りゅうりぇんれんの物語」に託した思い
平和・信頼・友情のバトンつなぎたい
歌手 沢知恵さん
3月10日、群馬県伊勢崎市で「りゅうりぇんれんの物語」(茨木のり子作)が公演される。歌手の沢知恵さんが出演する。これは、中国から北海道に強制連行され、収容所から脱出した劉連仁さんが戦後にかけ道内で13年間生き抜いた実話を沢さんがピアノの弾き語りとして編曲したもの。
日本の侵略戦争で犠牲となった中国人被害者が起こした「戦後補償」裁判はそのほとんどが最高裁で敗訴した。しかし最高裁は、「国、企業など当事者と被害者で話し合い問題の解決に努力を」と、異例の付言を行い、これに沿って関係したいくつかの企業が和解に応じているが、日本政府は頑なに応じない。
群馬の公演は裁判と合わせ「和解」促進にも大きな一石を投じるに違いない。出演の沢さんに思いを聞いてみた。
沢知恵(さわ・ともえ)さんのプロフィール
1971年日本で生まれる。幼い頃から、日本・韓国・アメリカで暮らしピアノに親しむ。91年東京芸術大学音楽学部楽理科在学中に歌手デビュー。98年韓国で日本の大衆文化開放宣言後、戦後初めて公式に日本語で歌い、第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。東京下北沢で12年間季節公演を行う一方、01年から毎年瀬戸内海のハンセン病療養所で無料コンサートを開く。代表曲「こころ」は、夏川りみ、アン・サリー、持田香織、クミコら多くのアーチストにカバーされ、平成のスタンダードの呼び声も高い。22枚のアルバムを発表、「りゅうりぇんれんの物語」もCD化されている。
公式サイト=http://www.comoesta.co.jp
祖父と茨木さんの“奇縁”が契機に
沢さんは日本人を父、韓国人を母にもち、川崎市で生まれた。祖父の金素雲は著名な韓国の詩人で、日本の植民地時代に「朝鮮の詩」を日本に伝えた。しかし「抵抗詩人」と受け取られ迫害を受けた。だが、その「詩」のレベルは北原白秋や島崎藤村に絶賛されるほどの高いものだった。「りゅうりぇんれんの物語」の作者で詩人の茨木のり子さん(06年没)は、金素雲さんの「朝鮮民謡撰」を愛読し、その影響を大きく受けていた。沢さんはこの奇縁に驚いた。
茨木さんとは会うことはなかったが、死後届いた1通の手紙で大きく心を動かされた。「茨木さんからバトンを渡され、後押しされた気持ちだった」と述懐する。
安倍政権の危険な言動に危機感…
劉連仁問題で、最高裁の上告棄却を聞き、
「やり場のない怒り」が収まらなかった沢さんは、その想いを深く胸に刻み、下北沢(東京・世田谷)のクリスマスライブで初めて「りゅうりぇんれんの物語」をピアノの弾き語りで歌った。
子どもの参加者も多い中で不安もあったが、何かに突き上げられそうな気持ちが沸き、決断した。74分もの長い詩だったが、しばしの沈黙の後、大きな拍手が鳴り響いた。
沢さんは「あの時の感動はいまでも忘れられない」という。
この詩を歌うきっかけは、それだけではなかった。当時は安部晋三政権時代。「教育基本法改正」、「憲法改正」など、それまでの政権がやろうとしてもやれなかったことを公然と口にし、実行する気配を示す安部首相の言動に強い危機感をもった。
「韓国と日本の二つのルーツを持つ私が何かしなければと強く意識した」と、表情を引き締めた。そして「私にできることは歌うこと」と、腹がすわったという。それ以後、神戸の教会での平和イベント、福岡女学院での公演や茨木さんの命日など、各地で歌い続けてきた。
心通わすアジアを築くために…
1998年、裁判で来日した劉連仁さん(右)と息子の劉煥新さん(左)
「中国での公演が大きな願望です。劉連仁さんの息子さんの劉煥新さんにも手紙を出しています。できれば連仁さんの故郷の山東省で…」と。
「いまアジアは、経済成長で浮き足立っている気がします。それで信頼関係が築けるのでしょうか。本当に心の通った信頼は、お互いが等身大の立場で、過去の歴史の事実をきちんと見つめた交流が大事ではないでしょうか。いまの国家関係を見ていると、韓国と日本の間に立つ私は疲弊します。『りゅうりぇんれんの物語』を日本・韓国・中国で公演し、平和と信頼の心を育てる一助になれば本当に嬉しい。贖罪の志を背負って戦後初めての日本人留学生として韓国に渡った父からもらったバトンも私を支えてくれています」
最後に明るく笑ってくれた。(宣)
☆群馬公演案内 「りゅうりぇんれんの物語」
詩 茨木のり子 ピアノ弾き語り 沢知恵
日時 2012年3月10日(土)午後2時開演
会場 伊勢崎ふくしまプラザ多目的ホール TEL:0270-26-7733
参加費 2000円(全席自由)
主催 りゅうりぇんれんの物語 実行委員会
連絡先 山田和夫 TEL:0270-26-0788 飯塚由美子 TEL:027-372-2164