日中友好新聞
2011年12月5日号1面
第28回日中友好囲碁大会
540人が熱戦を展開
11月13日、日本中国友好協会主催の「第28回日中友好囲碁大会」(金子ハルオ実行委員長、審判長=蘇耀国八段)が、東京千代田区の日本棋院会館で開催され、114チームから538人が参加。終日熱戦を繰り広げました。
ジュニア、女性が多数参加
小さな棋士たちも白熱したたたかい
(ジュニアの部)
今回の大会には、無差別55人、有段者A130人、有段者B190人、級位者A110人、級位者B24人、級位者C24人が参加。ジュニアの小中学生が133人、女性60人が大会を盛り上げました。
参加者からは「日頃と違う手を打たれて戸惑ったが、2勝しました」(足利あすなろ会・女子・初参加・小学5年)、「刺激になりました。子どもは頭の回転が速いですね」(自由ヶ丘初級教室・女性・初参加)、「相手は強かった。同世代の人が増え楽しかった」(無差別・男性・19歳・かまくら学園)などの感想が出されました。
毎回10チーム近いジュニアを参加させている大澤完治さん(緑星さいたま)は「子どもの社会勉強になればと思っている。強い子は小学生が多い。大人も負けずに頑張ってほしい」と話しています。
20回近く参加のベテランSさん(浦和碁楽会)は「最近アマチュアの大会が減っているなかで、この大会は貴重な団体戦、和気あいあいでいいですね」と心から楽しんでいました。
大会の上位成績は以下のとおり。
無差別=(優勝)多岐技会(準優勝)風鈴会A(三位)新宿囲碁センター
有段者A=(優勝)風鈴会C(準優勝)風鈴会B(三位)三菱電機
有段者B一組=(優勝)藤代クラブ(準優勝)都庁職港湾支部(三位)浦和碁楽会
有段者B二組=(優勝)東京地下鉄(準優勝)日本ユニシス福祉会囲碁部、NECソフト(株)
級位者A=(優勝)日本ユニシス福祉会囲碁部(準優勝)NECソフト(株)(三位)風鈴会F
級位者B=(優勝)かまくら学園8組(準優勝)かまくら学園9組(三位)かまくら学園7組
級位者C=(優勝)自由が丘教室初級(準優勝)武蔵野支部子供教室A(三位)武蔵野支部子供教室B
1960年代、1000人超す囲碁大会
500人以上が参加、真剣勝負!
日中友好囲碁大会は、日本中国友好協会が1960年代に中国との文化交流の一環として始めたものです。1963年、協会常任理事だった安永一七段と石毛嘉久夫七段(いずれも当時)が日本中国友好協会の代表として訪中、囲碁交流の道を開きました。1965年中国囲碁代表団が初来日、「歓迎囲碁大会」を東京港区の正則高校体育館で開催、翌1966年には「第2回大会」が東京大田体育館に1110人を集めました。
しかし、1966年、中国は「文化大革命」を発動、日本中国友好協会との関係が断絶し、囲碁交流も中断しました。
長期の参加記録誇る団体戦
再開したのは1983年。しかし「文革」の後遺症は残っており、中国からの代表参加はありませんでした。以来28年、毎回500〜600人の参加を得て「団体戦」では日本で稀有の存在となりました。
再開時から実行委員長を勤める金子ハルオ氏(東京都立大学・大妻女子大学名誉教授・日本棋院普及功労者)は、開会式で「各地の大会の参加者が軒並み減るなかで、この大会は毎年500人以上を集めている。全国的にも注目の大会です」とあいさつしました。
二回の訪中囲碁交流
1999年、日中友好協会と中日友好協会との関係が正常化し、これを受けて2001年金子団長、石毛審判長を代表にした「日中友好アマチュア囲碁代表団」が中国棋院を訪問、日中友好運動史上初の「アマチュア対局」が実現しました。
石毛氏は、1960年代の好敵手だった陳祖徳中国囲棋協会会長と38年ぶりに再会し、固い握手を交わしました。
2007年には、蘇耀国氏の故郷・広州市を訪問し2回目の囲碁交流が行なわれました。
30回大会に向けて
今年の入賞者たちで記念撮影
“囲碁のルーツ”には諸説があります。そのなかで「中国ルーツ」説はひとつの定説になっています。
たとえば「中国では黄河文化と揚子江文化とが渾然一体となってできたといわれます。その黄河流域と揚子江下流南岸が碁の起源だという説があります」(「碁の起源と伝来」石毛氏講演より)などがあります。
日中友好協会では、大田支部・杉並支部(東京)、佐賀支部、香長支部(高知)、さいたま支部(埼玉)などで毎年囲碁大会が開かれ、新たに福岡でも再開を検討しています。
実行委員会事務局長の大田宣也さんは、「2013年は30回の大きな節目です。多くの協会チームと中国のアマチュアチームの参加をぜひ実現したい」と期待を込めて語っています。(N)