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日中友好新聞

2011年9月15日号1面
918事変 柳条湖事件80周年
笠原十九司

 9月18日は「柳条湖事件80周年」です。その歴史と今日的意義について都留文科大学名誉教授・笠原十九司さんに聞きました。

 

いま、歴史の教訓を学ぶことの大切さ

 

写真1 日中友好協会

「9・18歴史博物館」のモニュメント

 毎年、9月18日がめぐってきても、この日が1931年に「満州事変」の始まりとなった柳条湖事件が起こされた日であるという認識をもつ日本国民は少ない。
 今年の「3・11」以後の日本の政治・社会状況、国民の意識状況をみていると、80年前の日本はなぜ「破滅のシナリオ」の発端となった「満州事変への道」を突き進んだのか、「過誤の歴史」から教訓を学ぶことの大切さを痛感する。
 ここでは、歴史事実を詳述する紙数はないので略述にとどめるが、読者の皆さんには各自確認していただければ幸甚である。

 

中国侵略15年戦争は満州事変から開始された

 

写真2 日中友好協会
"九一八"事変柳条湖爆破地点碑


 東京裁判では、1928年の「満州事変前史」から満州事変・日中戦争・アジア太平洋戦争に至る侵略戦争を「共同謀議」によって指導した軍部・政府の指導者たちを、「平和に対する罪」に当たるとして「A級戦犯」として裁き、処刑したのである。
 ところが、新首相の野田佳彦は財務相の時、「戦後の東京裁判でA級戦犯として裁かれた人たちは戦争犯罪人ではない」と発言したが、マス・メディアは追及せず、世論も辞任を迫るほど厳しくなかった。
 日本社会の「歴史の忘却」はここまで深刻になっている。

 

張作霖爆殺事件の「再演」−柳条湖事件

 

写真3

当初の標識に代えて関東軍が1938年に現場に立てたコンクリート製標識(高さ7メートル)。現在、瀋陽の「9・18歴史博物館」に陳列されている(丸山至氏撮影)

 1928年6月4日、関東軍は、国民革命軍の北京入城を前に張作霖を奉天に引き揚げさせる途中、彼を爆殺し、これを国民革命軍の仕業として「満州」における内乱を挑発し、軍事行動を起こして占領することを企図したが、この時は失敗する。しかし、メディアは謀略の真相を報道せず、現地軍の独断専行を放任する先駆例となった。
 もしも、爆殺事件の事実を国民が知り、関東軍を糾弾する力があったならば、謀略による柳条湖事件はあのように容易に「成功」することはなかったであろう。
 ひるがえって現在も、日本のマス・メディアが真相を報道できないことは、福島原発問題で思い知らされたとおりである。

 

天皇制ファシズム確立に加担した政友会

 

 大正デモクラシーから昭和ファシズムへと日本の政治を大きく変質させ、満州事変を利用した天皇制ファシズムの確立に加担したのが政党の立憲政友会であった。
 政友会幹事長の森恪と幹事の鳩山一郎(戦後自民党の首相、鳩山由紀夫元首相の祖父)は立憲民政党の浜口雄幸内閣が国際協調と財政緊縮のためロンドン海軍軍縮条約に調印したことを、「天皇統帥権の干犯」であると攻撃、海軍軍令部や右翼団体を活気づけた。以後「統帥権」が軍部ファシズムの「錦の御旗」となり、議会政治を葬る強力な武器となった。
 浜口首相が右翼に殺害された後をついだ民政党の若槻礼次郎内閣が、満州事変に反対して不拡大方針をとったのに対して、政友会幹部は政敵の民政党政権を打倒するために軍部と提携して満州事変を積極的に支持した。
 ひるがえって、「3・11」の被災地の困難をよそに、また日中関係や国際政治で日本に課せられた重要課題をよそに、自民党との、さらに党内における政争に明け暮れている現在の民主党政権の状況は、議会政治の危機という深刻さにおいて通底している。

 

「非常時」意識による国民の思想統一

 

 満州事変勃発後の日本の国際的孤立化、5・15事件(1932年)などの政治テロの横行にたいして、天皇崇拝と日本主義国体論による国民の思想統一をはかるため、内閣をはじめ軍部・右翼・ジャーナリズムなどによって「非常時」という危機意識が宣伝された。そして国際面では反中国、反国際連盟を中心とする排外主義が高唱された。
 ひるがえって、「3・11」以後、内閣や財界、保守・右翼ジャーナリズムが一斉に「国難」を強調、「日本人の絆」「日本人の誇り」キャンペーンを展開しているのは、類似した性格をもっている。
 敗戦時、「満州国」から引き揚げる時に幼な子3人を連れて、ソ連軍からの逃避行を行い、『流れる星は生きている』に苦難体験を書いた藤原ていは、いま、次男の藤原正彦が日本の侵略戦争を否定する『日本人の誇り』(文春新書)を書き、保守・右翼ジャーナリズムの寵児になっているのをどう思っているのだろうか。(都留文科大学名誉教授)

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