日中友好新聞
2011年7月5日号1面
創立90周年迎えた中国共産党
祖国の富強化追求の歴史刻む
水羽信男(広島大学教授)
中国共産党は7月1日、創立90周年を迎えました。その歴史や現状の諸側面について、広島大学教授の水羽信男さんに解説をお願いしました。
侵略に抗し主権を擁護
創立大会跡の前で記念写真を撮る家族連れ。09年に隣接して記念館が作られている。
周囲は新しい観光地の『新世界』で、夜には人手が多い。
(写真提供:福永平和さん/6月撮影)
中国共産党は今年の7月1日で創立90周年を迎えると言われます。とはいえ、この成立をめぐっても、いまだに諸説があります。この党の歴史のすべてが分かっているわけではありません。
しかし、中国共産党の90年の歴史を振り返ったとき、私たちが忘れてはならないことがあります。それは祖国の富強化と貧しい同胞の暮らしの向上を求めて、権力の弾圧を恐れずに立ち上がり、理想を追い求めた共産主義者の力です。
とりわけ彼・彼女らが、日本の中国侵略戦争(1937〜45年)をはじめとする先進資本主義の干渉に対して、自国の主権を守り通そうとしたことは、中国の歴史に大きな影響を与えました。
「文革」など負の側面も
創立大会の会場
(「図説近代中国」光明日報出版社出版より)
しかし、中国共産党の歴史には、多くの負の側面があったことも事実です。
たとえば、党は抗日戦争のさなか、『アリランの歌』(岩波文庫)の語り部であるキム・サンらを含む優秀な共産主義者を自らの手で抹殺しました。1957年の反右派闘争は、党内外の民主を求める声を封殺した大規模な冤罪事件でした。
66年からは「十年の内乱」=プロレタリア文化大革命を引き起こし、89年には民主化運動を武力で弾圧しました(「第二次天安門事件」)。共産党は党内の権力闘争と連動して、大衆を巻き込んだ凄惨な歴史をつくり出してきたのです。
この悲劇は、毛沢東らの個人的な誤りに原因するだけなのでしょうか。あるいは当時の共産主義思想そのものにも、根本的な欠陥があったのでしょうか。欠陥があったとすれば、その克服の方法とは? これは日本を含む世界史の問題として、真剣に考えるべきテーマだと私は考えています。
他党派との連帯のなかで
同時に、私が着目すべきだと考えているのは、共産党の90年は他の政治潮流や政治党派との関わりのなかで展開してきた、という事実です。たとえば1949年の中華人民共和国の成立に際しては、自由主義的な傾向をもつ諸党派も協力しました。
その一つで現存する中国民主同盟は、1945年に「民主は人類の生活の方法であり、……社会の一切の政治経済組織は、ただ人類が人となるという目的の道具であり、人が一切の組織、一切の制度の主人である」と指摘しています。
人が人になるとはBe myself at my best、つまり自分の能力を最大限に開花させ、自分らしく生きることを実現するという意味です。
草の根民主主義に注目
中国革命の老戦士(左)の話を聞き党史を学ぶ上海の中学生
(人民日報6月3日付)
こうした党派と連携することを決めた中国共産党の側には、自由を求める人びとはいなかったのでしょうか。いたという人は少数かも知れません。
しかし丸山昇さんが、「第二次天安門事件」を激しく批判しながら、民主化運動に連帯した共産党員の存在を無視してはならない、と主張していたことを私は大切にしたいと考えています(『中国社会主義を検証する』大月書店)。
今日でも共産党のブレーンのなかには政治体制の民主的な変革を模索する者がおり、また80年代末の民主化運動の参加者らによって、環境問題を解決するための取り組みなども進んでいます。こうした草の根民主主義の動きを過大に評価することはできませんが、軽視してしまってよいものでもないでしょう。
巨大化し多様化した現状
さらにいえば、中国共産党の党員数は、現在では7000万を優に超えています。本格的な革命運動を始めた1924年の段階で、党員は全国で500人ほどでした(石川禎浩『革命とナショナリズム』岩波新書)。目を見張る急速な発展です。また韓国の人口(4800万余り)と比較すれば、現在の党の想像を超える巨大さが分かります。
そのなかには、従来の労働者・農民だけでなく、新たに商工業者も含まれるようになりました。巨大化し多様化する中国共産党を理解するためには、私たちの“見る眼”をさらに鍛錬し、深化させる必要があるといえるでしょう。