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日中友好新聞

2011年1月5日号1面
中国文化通じ平和・友好の増進へ
目が離せない變面の早業
魯大鳴さん(京劇俳優)

 日本に在住し活躍している中国の文化・芸術関係者は少なくありません。その中でも魯大鳴(ルー・ダーミン)さんは、引く手あまたの売れっ子です。魯さんは、京劇俳優。日中友好協会でお馴染みの「北京風雷京劇団」の出身でもあります。得意種目の一つは、中国映画「變臉(へんめん)―この櫂に手をそえて」で朱旭さんが演じて評判になった「變面」。魯さんの活躍を追ってみました。

 

写真1

變面を演じ、ポーズをとる魯さん
魯大鳴さんプロフィール 1958年北京市に生まれる。北京市戯曲専門学校卒。北京風雷京劇団入団。1987年来日、舞台、テレビ、映画など多数出演。2009年4月からNHK教育「テレビで中国語」で、飯団(おにぎりパンダ)のナレーションを勤め、2010年5月同番組で「老北京」役を担当。現在、日中友好協会東京都連「中国語会話」講師。妻、息子と東京に在住。実演をかねた「京劇講座」要請があればどこへでも出向く。  問い合わせは日本中国友好協会へ。03-3234-4700 FAX03-3234-4703

高度な技術求められる「變面」

 

 話は、お得意芸の「變面」から始まります。「變面は、中国のお正月特別番組テレビや映画でも見ましたが、舞台での變面を見て、初めて自分と結び付きました。役者である自分もこの技ができたらどんなにうれしいか」
 以来北京に戻るたびに必ず見るようにしました。「變面」は、10数分の演技で「瞬時に顔を変える」という早業の連続です。魯さんは「10面」くらいを習得しています。
 「變面」は、もともと四川省川劇の技です。最近では京劇でも使うようになりました。川劇の「變面」は非常に技術が高く、テクニックも見事です。
 昔は、「伝男不伝女、伝内不伝外」といわれました。女はいずれ嫁になり家から出て行く、家から出て行く者に「變面の秘伝は教えられない」という意味です。

 

「玄宗皇帝・諸葛孔明」など好演

 

 京劇との出合いは、1972年、魯さんが14歳の時でした。何度にもわたるオーデションを経て、北京市戯曲専門学校京劇科に入りました。
 最も重視されたのは歌。そして演技力、先生の動き通りのいくつかのポーズの真似をさせられました。顔立ち、スタイルもチェックされました。卒業後、北京風雷京劇団に入団し、11年間出演しました。

 

来日の契機も「京劇」

 

写真2
「三岔口(さんちゃこう)」の任党恵

 1987年に来日、宝塚歌舞団「月夜の歌声」で京劇(覇王別姫)などを指導。青山円形劇場、石川県立能楽堂では「能と京劇による楊貴妃」で玄宗皇帝を、国立劇場「胡弓」では三国志の諸葛孔明を演じました。
 日本に来るきっかけも京劇でした。中国での劇団時代、長安劇場に多くの日本人観光客が見学に来て楽屋を訪れました。日本人は、メークを見ても、衣装を見ても、何を見ても不思議そうな顔をするばかり。この好奇心と熱気を見て、「いつか日本で、日本語で京劇を伝えよう」と決心しました。
 いま明治大学法学部講師として、「アジア文化と中国語会話」で教鞭をとっています。テーマはもちろん京劇。京劇は、ズバリ言えば「美」と「漂亮」、つまり「内面」と「外面」の美しさです。メーク、衣装、立ち回りのすべてに「美しさ」が求められます。まさに「愛美之心、人人有之」なのです。学生たちは、京劇の表面だけでなく、内容、人間性などの知識、知恵についても良く学び、「実に熱心だ」といいます。「日本の将来を担う若者たちに、異文化を伝える責任と喜びを強く感じている」と、力を込めて語ります。

写真3

魯大鳴さん

 日本での京劇の紹介、普及にも努力しています。『京劇入門』(2000年・音楽の友社)、『京劇への招待』(2002年・小学館)を出版しました。

 

文化交流は相互理解を促進

 

 ギクシャクした日中関係が続いています。魯さんは「何があっても、お互い冷静に対応し、話し合って解決してほしいですね。中国文化は、長い歴史を通じて日本に伝わってきました。文化交流は、平和と話し合いの環境をつくりだす大切な仕事だと思います」と、しっかり締めくくってくれました。
 (大田宣也・平澤ちぐさ)

 

京劇の誕生と歴史
 京劇の歴史は、それほど長くはなく約200年です。日本の歌舞伎より短いのです。乾隆55年(1790年)の乾隆帝80歳の誕生日に全国の劇団を呼んで演じたのが京劇誕生の原点となりました。
 多くの劇団のうち、安徽省の徽劇団が最も人気があり、誕生祝い後も北京に残り、泰腔、漢劇と合流し、お互いの長所を取り入れていきました。
 台詞も北京の観客が満足できるように、北京語に近くし、徽・漢両劇とは随分変わったものになりました。その後も変わり続け、だんだん京劇の形となっていきました。
 京劇の誕生は、徽劇、漢劇、昆曲などの役者たちの努力のうえに完成したといえます。若い芸術の京劇は、いろいろな戯曲の精華を身につけて、短期間に中国全土に、そして世界に広がり、中国演劇の代表になりました。

 

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