日中友好協会(日本中国友好協会)

日本中国友好協会
〒101-0065
東京都千代田区西神田2-4-1 東方学会ビル3F
Tel:03(3234)4700
Fax:03(3234)4703

HOME > 日中友好新聞 > 2010年07月25日号

日中友好新聞

2010年07月25日号1面
不再戦平和の思い新たに
第8回平和の旅−大連、旅順、瀋陽、撫順で平和と友好の翼広げ

 6月17日から21日までの5日間、撫順戦犯管理所のリニューアル開館式の参加、平頂山殉難同胞記念館、9・18記念館や、日清・日露戦争の戦跡の見学を内容とした第8回平和の旅が、東京、神奈川、福島、京都、広島、高知などから25人の参加者を得て行われました。

 

撫順戦犯管理所60周年と開館式

 

写真1
撫順戦犯管理所60周年と開館式

 日本の侵略の先兵として中国で加害行為を働いた日本人戦犯を、人道的な対応によって「鬼から人間へ」と再生させた撫順戦犯管理所が設立60周年を機に、日本人戦犯が収監されていた当時の状態に完全復元、6月20日、これを記念した開館式が約400人の参加で開催されました。
 日本からは、撫順の奇蹟を受け継ぐ会、紫金草合唱団、日中友好協会の各代表団合わせて約100人が参加しました。
 協会の長尾光之会長は開館式で「二度とふたたび中国へ侵略戦争を行わないと誓い、反戦平和の活動を一生涯進めている元戦犯たちを誇りに思うとともに、家族、親戚までが日本の侵略の被害を受けた管理所の元職員が人道的に戦犯に接し、戦犯を真人間に回復させたことに深く敬意を表します。私たちは『平和のための戦争展』はじめ、さまざまな平和行事を行なっています。今回の式典を機会とし、今後とも歴史を忘れず、日中間やアジアと世界の平和のためにさまざまな運動を展開してゆく決意です」とあいさつしました。
 元日本人戦犯として高橋哲郎さん、坂倉清さんの2人が高齢を押して参加、日本人戦犯に対する憎しみを乗り越えた管理所職員の人道的対応に深く感謝する高橋さんのあいさつは、大きな拍手に包まれました。

 

歌と踊り、文化の力で

 

写真2
蒙古踊り

 開館式に続き、元戦犯が日本帰国後に結成した中国帰還者連絡会(中帰連)が1988年に建立した「向抗日殉難烈士謝罪碑」に各代表団が献花。さらに、管理所の中庭に復元された野外舞台で、紫金草合唱団の人たちが撫順戦犯管理所の体験をテーマにした合唱組曲「撫順の朝顔」を、戦犯たちが管理所の文化活動のなかで学んだ「蒙古踊り」を、協会の矢崎光晴事務局長ら7人が披露しました。
 矢崎事務局長は、父親である元戦犯の新二さんが管理所での人間再生の象徴として、そして「二度と再び同じ過ちを繰り返してはならない」との思いを込めて「蒙古踊り」を踊り続けたことを紹介。反戦平和の思いを込めた「撫順の朝顔」の合唱と戦後世代が舞った「蒙古踊り」は人びとに感動をもたらし、会場は体験者の思いを引き継いでいこうとの決意に包まれました。
 夜には、管理所主催の夕食会が友誼賓館で催され、日本側を代表して「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の姫田光義代表が「残念ながら中帰連の方々は老齢化し、ついに2002年には解散するに至りましたが、その精神・信念と活動は『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』によって引き継がれています。中帰連の奇蹟を生み出した撫順戦犯管理所を尊敬し、贈られた『赦しの花』を一層大きく咲かせるために、今後とも頑張っていく所存です」とあいさつ。

写真3
平頂山殉難同胞記念碑に献花した後、周学良館長とともに
 元管理所の職員も含めた日中双方の参加者の交流は、今後の友好と平和を願う日中協同の取り組みの発展を確信させるものとなりました。
 また、管理所の行事の合間を縫って訪れた平頂山殉難同胞遺骨館では周学良館長が協会代表団を出迎え、参加者全員と交流を深めました。
 代表団は07年に拡張された展示館を見学、あらためて平頂山事件の事実を胸に刻みつけるとともに、殉難同胞記念碑に献花し、犠牲となった村民に哀悼の意を捧げました。

 

明治以来の歴史をたどり

 

写真4
旧関東軍司令部の前で(写真・三戸眞治さん)

 今回の平和の旅は、NHKの「坂の上の雲」の放映で、明治時代の富国強兵と軍備増強に注目が集まるなか、日清、日露戦争の舞台となった大連、旅順を見学し、中国・朝鮮に対する本格的な侵略戦争に至る歴史をしっかりと学ぼうと企画されたものでもありました。
 17日から19日にかけては「東京の戦争遺跡を歩く会」の長谷川順一さんの説明を聞きながら、大連と旅順の戦跡、さらには瀋陽の9・18記念館、日本人戦犯が裁判を受けた「瀋陽戦犯裁判旧址」、奉天会戦碑を見学しました。
 大連では、日露戦争時の兵站基地であり1946年からの日本人の引き揚げに使用された大連港、南満州鉄道(満鉄)の看板列車だった「特急アジア号」を見学。さらに、大連の中心にある中山広場に面した、満鉄が経営していた旧ヤマトホテル(現「大連賓館」)や、魯迅路の旧満鉄本社の建物を見て回り、中国侵略戦争で満鉄が果たした役割と権力の大きさを実感しました。
 さらに、昨年から大幅に対外開放された旅順では、日清戦争で虐殺された犠牲者を悼む「万忠墓」で献花を行い、ロシア軍三大永久要塞の一つ「東鶏冠山」、乃木希典とステッセルの日露終戦会談が行われた「水師営」、日露戦争最大の激戦地である「203高地」、旧関東軍司令部、旅順監獄などを見学。ロシア軍が建造し、後に日本軍が拡張した旅順監獄は、伊藤博文を暗殺し朝鮮では愛国の士として名高い安重根が処刑された場所でもあり、遺されている絞首刑場や拷問道具を通して、日本軍の弾圧と支配のすさまじさが伝えられています。
 今回の平和の旅の参加者からは「素晴らしい旅だった」との感想が寄せられ、この旅の記録集の発行も予定されています。(M)

[一覧に戻る]