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日中友好新聞

2010年2月5日号1面
華僑来日150年の軌跡
横浜中華街の今昔
横浜華僑総会名誉会長 曽梵[さんに聞く

 昨年横浜は開港150周年を迎えました。その横浜の名所「横浜中華街」も150年の歴史をもっています。華僑2世で70年間、横浜中華街で暮らしてきた曽梵[さん(横浜華僑総会名誉会長)に「横浜中華街の今昔」を聞きました。

 

ペリーとともに初来日

 

写真1

曽梵[さん

  1940年横浜中華街で生れる。長年華僑の公益事業に携わり、日本華僑華人聯合総会前会長、横浜華僑総会名誉会長、横浜山手中華学園副理事長を務める。横浜中華街「街づくり」団体連合協議会副会長・横浜中華街関帝廟理事・横浜天后宮理事として、横浜中華街の街づくりにかかわる。経営する新光貿易株式会社は、業務用ウーロン茶を日本に初めて輸入した先駆け。横浜中華街で、広東料理店「菜香新館」、中国茶専門店「悟空茶荘」、中華食材「耀盛号」などを経営する。

 幕末の1854年、アメリカ艦隊司令官ペリーが7隻の軍艦を率いて東京湾に姿を現した。このなかに、漢字によって日本人と筆談できる通訳の中国人が加わっていた。最初の中国人の横浜上陸である。
 1859年、日米修好通商条約が締結され、横浜港が開かれ、外国人居留地が設けられた。これを機に広州・香港・上海などから多くの中国人が横浜に進出してきた。この頃から、横浜新田の埋め立て地に中国人が住むようになった。横浜中華街の始まりである。開港8年目の1867年には中国人人口は660人、その3年後は1002人と増加した。
 当時の中国人居留者は広州出身が圧倒的、職業は貿易と港の仕事を中心に、買弁(取引の仲介役)・両替・塗装・大工・印刷製本など多種多様。
 現在の中華街に多い「中華料理業」の歴史は意外と新しく、戦後、とくに1970年代に入ってから多くなった。1904年には僅か14軒だったが、現在は250店ほどと急増している。

 

大震災、空襲による焼失

 

写真2
1910年頃の関帝廟の祭
(横浜開港資料館所蔵)

 1899年に外国人居留地が撤廃され、横浜華僑社会は大きく発展した。しかし、予期せぬ大惨禍と戦争の不幸が横浜中華街を襲った。
 最初は、1923年の関東大震災。中華街一帯も倒壊焼失し、多くの命が奪われた。震災前の華僑人口5700人は一時的に200人余に激減した。1937年、日本は中国全土に侵略戦争を拡大、華僑は祖国と居留国が戦火を交えたことによる苦渋に満ちた立場に立たされた。そして1945年、アメリカの大空襲で横浜は壊滅的な打撃をうけ中華街も焼失した。
 戦後、中華民国は戦勝国となり、中華街は急速に復興。しかし、1949年中華人民共和国が成立、母国は二つに分裂し、華僑社会に政治的混乱をもたらした。
 いまもその影響は残っているが、1990年の第4代関帝廟の建立などを機に、それを乗り越える努力が行われている。

 

年間2000万人が訪れる

 

写真3
現在の関帝廟

 現在は、みなとみらい線が開通し、平日も含め年間2000万人が中華街を訪れる盛況振り。その目的は、飲食50%、観光20%、買い物15%などである。
 戦前は、広東出身の華僑が多かったが、現在は1980年以降に来日した福建省出身の新華僑が多い。新華僑は、大きく二つに分類される。一つは中国で「老百姓」と呼ばれた一般庶民や農民。もう一つは、日本に留学して日本の大企業などで働く「知識分子」。
 しかし、共通しているのは、どちらも「金持ちではない」ということである。しかし、金持ちの中国人が投資のために日本に進出してくるのも、そう遠い話ではないともいわれている。
 華僑人口は急増している。08年末の在日中国人人口は65万5377人、在日外国人の国別で一番多く、外国人人口の約30%を占めている。
 これに伴い、次世代の子どもたちの教育対策も切実であり、1898年に創立され110年余の歴史をもつ横浜山手中華学校は、いまの2倍の生徒を収容する新校舎建設を進めている。中国経済の発展は日本にも及び、在日華僑社会は新たな活気を迎えている。

 

写真4

  開港場の日本人町で買い物をする2人の中国人が描かれている(『みなとのはな横浜奇談』より・横浜開港資料館所蔵)

これからの日中関係に望むこと

 

 曽さんは、これからの日中関係について、「かつて故・周恩来首相が『日本と中国は2000年以上の友好の歴史をもっている。不幸な時代は50年に過ぎない』と語ったことがある。実にこの50年がトラウマとなっている。これを乗り越えるためには、両国民が歴史認識について共通の認識をもつこと、合わせて広く世界に目を向けて、日中両国の果たす役割をしっかり見つめることではないでしょうか」と結んだ。(大)

 

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