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日中友好新聞

2009年12月15日号1面
誤った「歴史観」広げる恐れ
NHKドラマ「坂の上の雲」を考える
中塚明(奈良女子大学名誉教授)

 司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」がテレビドラマ化され、11月末からNHKで放映されています。日本が日露戦争や朝鮮の植民地支配から、中国はじめアジア各地に侵略戦争を広げていった歴史について、誤った見方、考え方を生む懸念が広がっています。『司馬遼太郎の歴史観』を刊行した歴史研究者の中塚明さんに解説してもらいます。(子どもと教科書全国ネット21ニュース68号から転載、一部編集)

 

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スペシャルドラマ「坂の上の雲」を宣伝する大型ポスター

はかり知れない社会への影響

 

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は文春文庫で8冊分もあり、それも数えてのことでしょうが、2000万部も売れたそうです。この小説を原作として、NHKが今年の11月29日から、スペシャルドラマを放送しています。
 2011年まで、3年にわたり晩秋から年末にかけての日曜日、1回90分の番組で、13回の物語に作り上げての放送です。名優を揃えて、これをテレビドラマとして見せるのですから、本を読まない人もひきつけ、はかり知れない影響を日本社会にもたらすことでしょう。

 

日露戦争を「対ロシア祖国防衛戦争」と描く

 

写真2
奈良女子大学名誉教授
中塚 明さん

 司馬は、この小説で「日露戦争までの日本はよかった。政治や軍事の指導者もしっかりしていた」と明治時代を賛美し、「明治栄光論」の主唱者になりました。
 伊予、松山の秋山好古、秋山真之、そして正岡子規の3人が『坂の上の雲』の主人公です。この天才的な3人の少年・青年時代とダブらせて明治時代を描きます。小説の3分の2は日露戦争の話です。
 ―世界は帝国主義まっただ中。欧米列強という「ずるがしこい大人」に囲まれた「明治の日本の国」を、無垢でいじらしく懸命に努力する「少年の国」と描き、秋山兄弟、子規ら「健気に生きる」天才「少年」たちが成長、日本をリードし、「ずるがしこいロシア」を打ち破り、日本を救ったのが日露戦争なのだ、という話にしたてました。これが『坂の上の雲』の骨子です。
 『坂の上の雲』には日本人をとんでもない方向に導く危険な要素がいっぱいあるのではないか?
 こんなことをできるだけ多くの方がたと一緒に考えたいと思って、放送が始まる前に『司馬遼太郎の歴史観』を書いて、ぜひ世の中に出そうと決心しました。高文研の全面的な協力を得て、8月1日に刊行することができました。

 

日本の侵略も挑戦の抗日も無視

 

 日本による「韓国併合」(1910=明治43年)から、来年はちょうど100年目です。『坂の上の雲』は「日本の勃興」と「朝鮮の没落」の時代、日清戦争・日露戦争の時代を書いた物語です。
 日清戦争から15年後、日露戦争から5年後に、朝鮮は日本によって亡ぼされ植民地に転落させられました。日清戦争・日露戦争は日本が朝鮮を制圧するのに決定的な意味をもつ戦争でした。
 では司馬はこの作品で、朝鮮のこと、日本が朝鮮になにをしたのかを、どう書いたのでしょうか。
 朝鮮が没落したのは、
 @北からロシア・清国に、南から日本に圧迫される朝鮮の地理的な位置が悪かったからだ。
 A日本は朝鮮をよその国に支配されたら困るので、ひたすら「朝鮮の自主性を認め、これを完全独立国にせよ」とひとつ念仏のようにいい続けたが、朝鮮は無能力だった。他国の侵略という不幸な外圧ではじめて支配体制は倒れる。そんな国だった。
 B時代は列強角逐の時代だ。「日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない」―司馬は『阪の上の雲』でこう言い放っています(文春文庫、三)。
 こう主張することによって、司馬は明治以後、日本が朝鮮に対してなにをしたのかを具体的に一切書かないですませたのです。
 日清戦争の日本軍の第一撃が朝鮮の王宮占領だったことも、それに抗議する朝鮮農民の抗日闘争が大規模に起こったことも、また日清戦争の後、再び王宮を襲い、国王の后を殺害したことも、なにも書きませんでした。

 

 ●『司馬遼太郎の歴史観』高文研(1700円+税。TEL:03-3295-3415)

 

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