日中友好新聞
2009年11月5日号1面
61年ぶりの再会
台北で雍正文物展
10月7日から来年の1月10日まで台北市にある「國立故宮博物院」で、清朝5代皇帝雍正に関する「雍正−清・世宗文物大展」が開催されていて大変注目されています。
日本の侵略と内戦で分離
それは絵画・書・磁器・書籍など展示246点のうち、北京故宮博物館から「雍正朝服像」など37点、上海博物館から2点の出品があることです。1925年に紫禁城の清朝文物をもって開館された北京の故宮博物院の収蔵文物は、日本の中国侵略に伴い1933年に上海へ、その後日本の侵略拡大に伴い南京、長沙、漢口、四川省などに転々と移送されました。
戦後南京に集められましたが、国共内戦により北京から移送された1万3427箱のうち2972箱が1948年に台湾に移送され、以後今回まで一緒に展示されることはありませんでした。
第3次国共合作?
今回の展覧会は、05年の連戦と胡錦涛両主席の60年ぶりの国共トップ会談以後、06年の「両岸(中台)経済貿易文化フォーラム」の発足と台湾企業の中国進出の急増化、昨年の8年ぶりの国民党の政権復帰以来の@三通(通航・通信・通商)の解禁、A中国資本の台湾投資の解禁、B出版・映画・放送などの相互進出など第3次国共合作かとも言われる流れのなかで、2月14日・15日に北京で北京・台北の両博物館院長が初の会談を行い、専門家の交流、共同展覧会やシンポジウムの開催などの意見交換をし定期交流と協力を約したことを踏まえて開催されたもので、61年ぶりに一緒に展示された文物展は、改めて厳しい中国の近現代史を学ぶことの大切さを訴えています。
中国文明の精華
北京の故宮博物館に71万点、台北の「國立故宮博物院」に約65万点の計約136万点あると言われる両故宮博物院の文物は清朝歴代皇帝が収集し紫禁城に収蔵していました。王朝創設期に数十万人の満州民族で1億人以上の漢民族を支配することになった清朝は、支配の正統性を常に問われ、それを名君による統治と精神的権威の確立に求めました。このうち精神的権威の確立については、中国歴代王朝の精華である文物を収集することにより自らを中国文明の正統な保持者とするものでした。このため歴代清朝皇帝は熱心に文物を収集し、とりわけ6代乾隆帝は玉器、青銅器、書、絵画、磁器、書籍などの優品100万点以上を収集したと言われています。
雍正帝とその芸術
雍正(廟名は世宗)は父帝の崩御時急に皇帝になったため1722年の即位には陰謀説が絶えず、このため競争相手の兄弟を獄死させ、太子密建法をたて、密偵政治を行い、軍機処を設置するなど皇帝独裁を強化しました。また雍正は部下に「私は45年間の部屋住み時代に世間の酸いも甘いも噛みわけて皇帝になったのでぬくぬく育った皇帝とは訳が違う」なめるなと言っており、下々の生活や役人の勤務状況に精通し、13年の治世中、朝4時から夜中まで仕事をし、部下の書類には全文目を通す勤勉さで汚職・無能役人には厳しく臨みました。皇帝上奏文に雍正の意見を付した『雍正石朱批諭旨』(※)は雍正の誠実な人となりを伝えていて有名。中国歴代皇帝中随一の贅沢をしない皇帝でした。(※「石朱」は一文字)
一方で雍正は歴代皇帝中北宋の徽宗に次ぐ芸術品の目利きで、雍正朝の官営磁器は白い純白の滑らかな地の上に精緻な花鳥模様を五彩で描いた端正で優雅な器が多く、雍正の指示で創られた器を雍正に見せると納得しない物は壊したと言われていて、伝世の大清雍正年製銘の磁器は清朝随一と世界中で愛好されています。雍正の書は筆鋒が強鋭で上手な書。なお雍正朝の文物は官営磁器以外にも皇帝の好みを反映して端正で優雅な物が多いと言われております。(佐久間徹:ギャラリー深川・店主)