日中友好新聞
2009年9月25日号1面
東京「平和のための戦争展」30回目の開催
真実を伝え続けて
1980年、日本中国友好協会の30周年記念事業として始められた「平和のための戦争展(1〜5回目までは「平和のための戦争資料展」)は、今年30回目の開催でした。
全国の戦争展の草分け的存在の東京の戦争展。8月12日〜16日、都内の2会場(スペース・ゼロ、カタログハウス)で来場者は2000人を超えました。
戦争展会場(スペース・ゼロ)
好評だった今年の戦争展
特別展示は、「いのちつなぐ・・戦争を経てきた人の肖像」(写真:落合由利子氏、取材テキスト:北川直実氏、室田元美氏)。戦争を体験し今を生きる16人のポートレート写真。
「モノクロで写されたお顔からその方の人生の重みが感じられた」(アンケートより:以下「※」)。
写真パネル「日本の侵略戦争の実相」の後には、「戦争を実感させる実物展示」。所有者の檜山紀雄さんが連日説明に立たれ、大好評でした。「三八歩兵銃の重さ、これに実弾を込めて200発と軍装で30〜50km行軍していたというのは信じられない!」(※)
「新憲法の誕生と『戦争放棄』の輝き」「日常化する自衛隊の海外派兵と日米軍事同盟の強化」「『平和に生きる権利』を求めて」と続く写真パネルの最後は、9条の大切さを訴え、こつこつ3年半で2万筆の署名を集めた箕輪喜作さん、80歳の笑顔。
「ひとりでもやれることがあるんだと、胸が熱くなりました」(※)。
連日満室の証言室
学童疎開の体験を話す小林奎介さん
「侵略戦争の真実を訴え、戦争につながるものを許さない」という戦争展のテーマは30年間一貫しており、その中で中帰連の果たしてきた役割は計り知れないものがあります。
委員や委員長、そして加害体験の証言は、聴く者に大きな衝撃と感動を与えてきました。今年、88〜96歳の高橋哲郎・坂倉清・小山一郎・金子安次・湯浅謙・絵鳩毅の各氏は全身全霊を傾け証言。まさに、戦争展は中帰連とともに歩んできたと言えるでしょう。
加害証言だけでなく、被害者の証言も聴く者の心を打ちました。被爆者(木場耕平・田崎アイ子・米田チヨノ・山田玲子・西野稔の各氏)、学童疎開(小林奎介氏)、東京大空襲(狩野光男氏)の体験。「心につきささるお話を伺い、戦争への道を止めなくては、との思いを強くしました」。5日間毎日、貴重な証言を聴きに通った方が数人いました。
この他にも国民学校一年生の会による模擬授業、音楽「替え歌」と『新しい憲法の話』があり、熱演と大きな歌声・笑い声は部屋に入れなかった外の方々にまで届きました。特別企画・トーク「戦争とジャーナリズム」(豊秀一氏・新聞労連中央執行委員長)も好評でした。
高校生や大学生が描いたポスター(92〜95年)
この他にも国民学校一年生の会による模擬授業、音楽「替え歌」と『新しい憲法の話』があり、熱演と大きな歌声・笑い声は部屋に入れなかった外の方々にまで届きました。特別企画・トーク「戦争とジャーナリズム」(豊秀一氏・新聞労連中央執行委員長)も好評でした。
3日連続の講演会
30周年特別企画の初日は元中帰連の金子安次さん、高橋哲郎さんの戦場での体験と戦犯管理所での生活、加害責任の自覚から反省に至った経緯のお話、元撫順戦犯管理所職員の崔仁傑さんのビデオ証言を受けて、高橋哲哉さん(哲学者)が「なぜ加害体験を聞くのか」というテーマで講演。
戦争当時の靖国神社に関するDVDを上映し「日本人のなかで加害体験が聞かれなかったのはなぜか」という問題をたて、「国のための死を美化し靖国神社に『英霊』として回収してしまう靖国のイデオロギー」を指摘。
講演する高橋哲哉さん
2日目は小森陽一さん(9条の会事務局長)が「憲法を私たちの力にするために―8月15日に考える」と題して講演。
日本国憲法をアジアや世界の歴史のなかで改めて捉え直す重要性と「憲法9条」が世界を動かす可能性について強調しました。
3日目の湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)は「現在の貧困と平和」について派遣村などの経験を語り、最低限の生活が破壊されている現状のなかで9条と25条を結びつけて考える重要性を指摘。
3氏による講演は「平和に生きる権利」という今年のテーマに厚みを加えました。
戦争と平和を考える多彩な取り組みの5日間でした。今回の戦争展は節目の年にふさわしい内容と反響でした。(平山・小川)