日中友好新聞
2009年9月15日号1面
戦争を歴史とし、平和で未来を描く
南京で日本の8・15漫画展
石子 順
南京大虐殺記念館、人民日報〈風刺とユーモア〉報社、日本の「私の八月十五日の会」は8月15日、南京大虐殺記念館で「日本の100人の漫画家が描いた8・15漫画展」を共同で開催。ちばてつやさんなどの漫画家のほかに、協会からは石子順さんが開幕式に参加しました。同展は11月15日まで3カ月間開催される予定です。南京からのレポートをお伝えします。(編集部)。
画期的な出来事
父に手榴弾の使い方を教わる子ども、荒野をさまよう日本人難民群、中国人にムチ打たれる日本兵――といった1945年8月15日の記憶を描いた日本の漫画160余点が南京大虐殺記念館に並んだ。画期的な出来事だ。
開館と同時に会場はいっぱいになった。親子づれや、子どもたちもいる。青年も老人も、熱心に漫画を見て文章も読んでくれる。
男の子がお母さんに空襲の絵を見て「どこの飛行機?」と聞いている。困っているので「アメリカだよ」と助け舟を出したら、お母さんから「日本にアメリカの爆撃があったのですか」と聞かれた。「日本の漫画はドラえもんばかりかと思ったが、こんな悲しい漫画もあるんだと知った」と青年がいった。
漫画による平和の呼びかけ
「漫画による平和への一歩」と
朱成山館長
2009年8月15日に「日本の100人の漫画家が描いた8・15漫画展」の開幕式が南京大虐殺記念館の入り口近くの外庭で行われた。漫画家とともに出品者の1人として私も出席した。式典は青空の下で進行し、日差しの強さが敗戦のあの日に思いを至らせる。
記念館の朱成山館長が、「8月15日は日本人民にとって特別な日ですが、72年前に南京が日本軍機によって初爆撃された日でもあります。このような日に日本漫画展が本記念館において開かれることは大きな意義あります」と漫画による平和への一歩を宣言した。
南京は、日本の侵略戦争の象徴のような都市だ。1937年12月、日本軍はここで何をしたのか。虐殺記念館はその事実を発掘し日本軍の行為と中国人の犠牲を展示しつつ、戦争をくり返さないため、次世代に伝えるために「歴史、平和」の四文字を刻んで未来をめざしている。
中国人にとって怒りと告発の場であるそこで、南京大虐殺記念館、日本「私の八月十五日の会」などの共催で日本の漫画展が開かれた。日本人の戦争体験が初めて中国の人びとの目に触れることになったのだ。
これらの作品を描いた日本人漫画家たちに代わってちばてつやさんが、「日本人にとってつらい土地で日本の漫画展が開かれることは夢のようです。日本人の戦争体験が伝わることで友情と理解が深まることを願います」とあいさつした。
さまざまな努力によって
「日中友好が深まることを」と
ちばてつやさん
「私の八月十五日の会」は、中国からの引き揚げ体験漫画家が芯となり森田拳次の呼びかけで発足した。03年に敗戦のあの日をどこでどのように迎えたかという漫画と文章を募集し、展示会を開いた。04年に画集にまとまり、それが08年に人民日報出版社から中国語訳本となり、朱成山館長が見て記念館での漫画展開催を決断した。
今回は、山田洋次、高倉健、黒柳徹子、日野原重明といった人たちの文を漫画にした作品も加わった。
作家の石川好さん、中国漫画家協会の徐鵬飛会長、朱成山館長。たくさんの人の力でここまでこぎつけた。森田拳次さんも「まさか!と思うことが実現した。よくここまでこれたなー」と感激している。みんなも同感した。
国境を越える漫画文化のすごさ
マスコミや入場者であふれる館内
漫画文化だから平和を、理解と友好をという願いを形にできた。中国では一こま漫画の愛好者が多い。漫画というひと目でわかり、つらさの中にユーモアもふくめて、ほっとやさしくなる視覚文化が、こうして国境を越えて一番むずかしい場所で、一番見てほしい南京の人たちに届けられた。日中双方の戦争体験を理解し合うための漫画の力のすごさを実感させられた。
「戦争を歴史とし、平和で未来を描く」がテーマのこの漫画展、初日に2万人が見た。開催期間3カ月で100万人の入場が予想される。
さらにハルビン、天津などでの開催が予定されている。日本の漫画が日中友好の新しい歴史を切り拓いていく平和の船の舳先(へさき)のような役割を果たした。(漫画研究家)(写真撮影・石河 環)