日中友好新聞
2009年5月5日号1面
植樹とは命を植えること
宮脇昭さんインタビュー
森林伐採、地球温暖化などで地球環境が破壊されつつある昨今、40年以上前から土地本来の植樹による森づくり(「鎮守の森」)を訴え、日本国内1400カ所以上、約40カ国を踏査し3000万本を超す植林活動を続けている植物生態学者、宮脇昭さん(81歳)がいます。植林にかける思い、環境の大切さ、中国での植林活動などについてうかがいました。
宮脇昭(みわやき あきら)
1928年岡山県生まれ。広島文理科大学卒業。58年から2年間、ドイツ国立植生図研究所に留学。横浜国立大学環境科学センター長などを経て、現在は横浜国立大学名誉教授、(財)横浜市緑の協会特別顧問、(財)地球環境戦略研究機関国際生態学センター長。著書に『苗木三〇〇〇万本いのちの森を生む』(NHK出版)、『鎮守の森』(新潮社)など多数。1992年紫綬褒章、2000年勲二等瑞宝章、06年第15回地球環境国際賞「ブループラネット賞」など受賞。
中国の踏査で分かったこと
初めて中国の上海を訪れたのは1977年。「中国科学アカデミーの招きで中国東部を踏査することが目的でした。当時は飛行場の設備も十分でなく、町はただ広くて汚く、田園の臭いがしました。人間だけが溢れかえっていて、日本の方がはるかに近代的に思えました」と語ります。
ドイツ留学時代からの友人で華東師範大学の宋永昌教授や、達良俊教授らとともに長江沿いなどの現地植生調査を本格的に開始。
そこで分かったことは、数千年の中国文明の発展の代償により、大部分の地域で土地本来の原生林に近い森が失われていたこと。上海でも旧市街区には古寺や公園以外に十分な緑が残されていない状態だということでした。
本物の森と都市の共生めざす上海
1995年から3年間、日本の文部省(現在の文部科学省)の海外調査費で華東師範大学との共同研究を実施。上海から南京、馬鞍山、黄山、寧波などの長江中流から河口周辺域までの植生調査を行いました。
当時、上海の森づくりを進めていた上海市園林局(日本の森林管理局に相当)の鹿金東局長がこのプロジェクトに興味をもち講演を依頼したことが縁で、その後も8回以上にわたって市の幹部、現場の技術担当者、上海市園林局の職員を対象に講演会や説明会などを開催。宮脇さんは土地本来の樹種による生態学的な森づくりがいかに重要かを説きました。
街と森の共生が美しい上海(写真はすべて宮脇昭氏提供)
「苦労したのは園林局職員らの固定観念をどう変えさせるか。最初、私たちの提案は理解されませんでした。何度も一緒に現地に行き、植生を調べ、討論を繰り返していくなかで森づくりに関する理解を深めてもらいました」
その後、鹿局長らの判断で早生樹種のポプラとプラタナスから、土地に合った常緑のクスノキ、トウネズミモチ、シイノキ、タブノキ、カシ類などを植えることに。
「都市の中の緑は世界各地で見られますが、土地本来の本物の森と都市との共生を目指す上海浦東地区の都市づくりは注目に値します。私たちもこれを見習い、都市の森を積極的につくっていくべきです」と語ります。
日中のボランティアが39万本を植樹
植樹祭では日中両国の子どもたちが参加
宮脇さんの思いは日本企業に引き継がれ、上海浦東地区や青島市周辺、広州市、錫林浩特(シリンホト)(内モンゴル自治区)などで植樹祭を開催、98年に制定された「植樹デー」運動も手伝って中国全土で植樹活動が広がっています。
また、同年から3年かけて北京の万里の長城沿いを土地本来の森に再生する試みがスタート。植樹に当たり、北京市長のことばは切実なものでした。「実は日本からの植樹ツアーはあまり来て欲しくない。私たちが欲しいのは黄砂を防ぎ、砂漠を止め、水を集め浄化して保水機能を果たす本来の森なのです」
これまでの日本からの植樹ツアーは踏査も行わずに適切な苗木を植えないことから、3年経つと、つっかえ棒と看板しか残らないありさまに。日本の植樹活動の欠点が浮き彫りになっていました。
宮脇さんは本物の森にすることを市長と約束し、徹底した現地踏査の末に土地に合ったモウコナラなどを選び出しました。3年間で39万本もの苗木を植樹、参加したボランティア数は日本人4200人、中国人3200人に上りました。
樹高3〜4メートルまで成長(万里の長城)
現在、植樹した当時の幼木は、根もしっかり張り、樹高3〜4メートルまで育っているとの報告が寄せられています。
「植樹祭を終えたときの、中国の子どもたちのすばらしい笑顔は忘れられません。植樹とは命を植えることであり、子どもたちの未来のためであることを改めて実感しました。今年6月には内モンゴルを踏査する予定。あと30年は木を植えていくつもりです」
宮脇さんの精力的な活動はまだまだ続きます。
(押)