日中友好新聞
2009年4月25日号1面
南京大虐殺記念館の写真を展示
市民の賛同で大成功
南京との交流30周年で
名古屋
名古屋市と中国・南京市の友好都市提携30周年の記念交流行事が3月24日から29日まで名古屋市内で開催され、協会愛知県連合会は他団体とともに南京大虐殺記念館所蔵の写真パネル展の企画・運営に参加。
この展示をめぐる名古屋市の後援取り消しという事態を乗り越え、大きな成果をおさめました。
テープカットする王副館長(左から2人目)と郭領事(その右)
脅迫と妨害はねのけて
名古屋・南京の友好都市関係は昨年30周年を迎えましたが、この間、名古屋市長や市が毎年募集する南京訪問団は、決して南京大虐殺記念館を訪問しませんでした。
こうしたなか、南京と交流の深い「愛知子供の幸せと平和を願う合唱団」などを通じて、同記念館から新装後初めて写真と解説文の提供があり、愛知県連は昨年末から上記合唱団や「アジア・ボランティア・ネットワーク東海」などとともに「市民文化交流をすすめる会」に参加、展示の準備を行いました。
この企画について、名古屋市は後援を約束しながら、右翼に脅かされ、展示に記念館の写真が含まれているという理由で後援を取り消しました。
これが新聞報道され、逆に企画賛同者が急増。結果、団体と個人で約800の賛同者、各種催しへの来場者は約2000人という大成功を生みました。
その陰では、のべ260人の要員が活動し、中国の駐名古屋総領事館と日本棋院中部総本部の後援は大きな励ましとなりました。
多彩な文化交流と写真展示
来場者で賑わう南京展示会場
メーンの写真展示は同記念館から提供された写真のうち50数枚を選び、3月24日から29日まで名古屋国際センターで開催、高校・中学の歴史教科書、きりえ、絵手紙、日中両国の児童の絵も展示されました。同記念館の王偉民副館長は展示の期間中、会場に詰めて交流を続ける熱心さでした。
写真展示では、全体の体系は変えず、写真の出典とキャプションを綿密につけ、説明文は記念館のものを使用。右翼は脅迫状や街宣車のほか、何度も事務局や会場に押しかけて来ましたが、主催者は確信をもって活動。
約300枚寄せられた感想文の多くが、「初めて『南京事件』の実態を知った。これを子どもたちの世代に語り継ぐことの大切さを痛感した」というものでした。
28日には別会場で「名古屋と南京の市民文化交流」と題するパネルディスカッションを開催、王副館長、安斎育郎教授(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)、南京芸術学院教授の李小白画伯がパネラーとして参加し、愛知県連の石川賢作会長が進行役を務めました。この間に中国の国際的ピアニストである李堅氏の演奏や児童を含めた合唱など、斬新な試みがなされました。
愛知子供の幸せと平和を願う合唱団の公演
安斎教授はこのパネル制作を高く評価、王副館長は記念館の展示は平和な未来のためであることを強調しました。
この日、中部地方最大の「中日新聞」夕刊が1面トップで催しを大きく報じたため、翌29日の展示会場は終日満員。また別会場では胡弓演奏、シャンソン、新婦人のフラダンスのほか、愛知県連からは太極拳の表演も行いました。
成果を生み出したもの
今回の成功は、多数の賛同者を得て、「日中音楽文化交流」、「李さんの美術教室」、「日中友好囲碁大会」などの多彩な交流イベントを行い、多くの女性や児童たちも参加見学できるものにしたことです。
愛知県連は一昨年の笠原十九司先生の講演会や昨年3月の南京訪問旅行などを積み重ねてきており、今回の企画への参加はその延長線上にあると考えます。
協会愛知県連制作の展示パネル
右翼の脅迫・妨害とたたかううえでは、協会会員で愛知教育大学の南守夫教授による写真の出典確認作業が大きな確信を生みました。記念館の王副館長もこの企画の成功を喜び、展示パネルの日本全国での活用を快諾されました。
(石川賢作・愛知県連 合会会長)