日中友好新聞
2009年1月25日号1面
漫画交流は日中友好の源
漫画集『私の八月十五日』を中国で出版した 徐 鵬飛さん
石子 順
2004年に出版されたやなせたかし、ちばてつや、赤塚不二夫、森田拳次たち日本の漫画家百数十人が八月十五日を描いた大型漫画集『私の八月十五日』がこのほど『日本百名漫画家憶停戦日』(任景国・訳)として中国で翻訳・出版された。出版元は人民日報社で、企画は「風刺と幽黙(ユーモア)」社である。
「風刺とユーモア」紙は創刊30年になる週刊漫画新聞で中国はもちろん、世界でもただ一つ。中国美術家協会漫画芸術委員会会長で「風刺とユーモア」編集長、徐鵬飛さんが来日、いろいろとお聞きした。
日常的なつながりを、と徐鵬飛さん
中国漫画界を動かす漫画家
徐鵬飛さんは1949年長春生まれで、今年60歳になる。「父が〈旧満州国〉で働き、戦後は国民党系だったため」、文化大革命で1968年に朝鮮との国境近く延辺地区に下放させられた。
「小さいときから好きだった絵を勉強する機会を失ったわけですね」。1970年にフルート奏者として県の文工団に採用された。「なんとなく吹いていたのが認められたのですね」と謙遜するが、文革が終わってもフルート奏者として活動。
1978年に新聞に漫画が復活、初めての投稿漫画が採用された。漫画を描き始めて1982年に吉林日報の漫画担当として長春に戻った。
88年に全国新聞漫画一等賞を受賞。93年に北京の人民日報に抜擢された。漫画の力で中央に抜擢されるのは異例のことである。
94年に日本の読売国際漫画大賞の近藤日出造賞を受賞。内外の漫画賞を多数受賞。漫画集も多い。
いまは全国の漫画家をたばねる唯一の漫画団体のリーダーとして漫画家として多忙な日々を送っている。『私の八月十五日』については、「生き生きした漫画。深刻な文章。これは戦争を告発した歴史的画集です」と高く評価する。
徐鵬飛さんの尽力、人民日報社での刊行ということがあって、日本人漫画家の八月十五日の記憶が中国の人たちの目に触れることができたのだ。
漫画文化の向上・普及に努力
中国には漫画家はどれくらいいるのだろう。
「中国漫画芸術委員会は中国美術家協会の分野別組織の一つで有名な漫画家700人、セミプロ数千人がいる団体です」。その活動は「漫画の質的向上、漫画の理論的研究、漫画の普及を目的として、2年に一度金猴賞中国漫画大展を開き、全国から作品を募集、新人を発掘しています」。
中国では一コマ漫画が主流だ。「子どもから大人、老人まで年齢にかかわりなく漫画に関心をもっている人、好きな人が多いですね」。
漫画を大事にしていて漫画出版物、漫画展も多く、漫画家の地位が高い。各省、都市で発行されている新聞、雑誌が漫画の発表舞台だ。全国紙の「風刺とユーモア」紙がそれを引っぱっている。
日中漫画交流を盛んにしたい
「なんといっても日本は漫画大国なんですね。私は欧米各国を訪問し漫画家とも交流がありますが、一番、文化的に身近に感じるのは日本です。中国の青少年たちは日本のストーリー漫画やアニメーションが大好きで影響も大きい。だから日本と中国との漫画交流は絶対にやりたいですね、一コマ漫画の交流はことばが分からなくても笑いで通じ合えるし、若者にも影響し、日中友好の源になるのでは?」
徐鵬飛さん自身、ユーモアあふれる作品を日本などの漫画展に出品することでその腕を磨いてきた。だが日本の漫画集、それも日本の敗戦の回想漫画の出版という漫画交流は画期的だ。
「これは世界平和をめざす路程標」。「ありがとう、これらの漫画家、私の仲間!」と徐鵬飛さんは中国版の序文で日本の漫画家たちに呼びかけた。中国での出版を自分のこととして受けとめているのが嬉しい。
(漫画研究家)