日中友好新聞
2009年1月15日号1面
ジャーナリスト 莫邦富(モーバンフ)さんに聞く
互いに謙虚に学びあう姿勢を
どうつくる、日中両国民の信頼関係
中国建国60周年を迎えた2009年、日中関係の大きな発展の一方で、両国民同士の親近感、信頼関係をどのようにつくっていくかが、いま大きな課題となっています。日本在住の「知日派」ジャーナリストとして各メディアで活躍する莫邦富さんにお話を聞きました。
(東京都内の事務所にて)
莫邦富さんは1953年上海生まれ。文化大革命期(1966〜76年)の「下放」政策のため、黒龍江省のロシア国境近くの農村で多感な青春時代を過ごしました。
1972年の日中国交正常化の翌年、上海の書店で偶然日本語のテキストを見かけ、「人間の複雑な感情を、少ない5つの母音でどう表現するのだろう」と驚き、日本語と日本に強い関心を抱きました。
独学を経て上海外国語大学で日本語を学び、卒業後、同大学で教鞭をとり、1985年に来日。日本滞在は今年で24年目になります。
莫さんはこの長い日本滞在を通じて、日本人から受ける印象は大きく変わったといいます。
「耳を傾ける姿勢」失った日本人
「私が日本と付き合い始めた頃は、日本が高度成長で昇っていく時期で、日本人に自信と落ち着きがありました」
莫さんは1981年、日中共同で創設された日本語研修センター(俗に「大平学校」と呼ばれる)の第1期生の一員として初めて日本を訪問。1カ月間の研修後の送別パーティーで、日本側代表の金田一春彦さん(言語、国語学者・故人)のあいさつに感銘を受けました。
「金田一先生は、『本当の知日派になるために、日本の尻の部分、つまり、悪い部分もきちんと知ってもらいたい』と話された。当時の日本人は、他人の批判にも耳を傾ける姿勢があったのです。ところがバブル崩壊後、だんだんと空気が悪くなり、『中国脅威論』などが出てきた。ピークは、小泉元首相が靖国参拝を繰り返した時期です。日本国民全体が落ち着きを失っていった印象を受けます」
同時に、この間に生じた「国力の差」の変化も指摘します。
「中国は改革開放以来30年にわたる努力の結果、今やドイツを超えて世界3位の経済大国になろうとしている。日本人は、『中国に追い越されるのではないか』という恐怖心から、嫌中感情に走っていったのではないか」
しかし、この点は過大視する必要はないと莫さんはいいます。
「長い目で見れば、ある意味先輩が後輩に追い越される時の『心理調整期』ではないでしょうか。日本人は本来、すぐれたものに謙虚に学ぶ習慣を持っているはずです」
相手に学ぶのは自分自身のため
一方、「食の安全」、チベット騒乱、四川大地震など、昨年は中国のさまざまな問題が注目を集めました。
「中国が世界に溶け込む過程での、一つの通過点と考えています。経済発展の成果は素晴らしいと評価していいのですが、一方で国民の『知る権利』や報道の自由などはどうか? 長い歴史のなかで、中国は強大な国であるだけでなく、文化の発信地としても世界の尊敬を集めていた。これからの中国は、経済だけではなく、文化的にも世界の人びとから尊敬される、『魅力ある国』になる努力が必要です」
「中国の改革開放は日本の成功に学んできた。中国はいま一度、中国にまねのできない日本のすぐれた部分に、学ぶべきだと思います。また日本も、いろんな問題があるにしろ、中国がなぜ国内の問題に対して迅速に手を打つことができるのか、これまでの成功の秘訣がどこにあるのか、自分たち自身のために点検し、学び取るところがあるのでは」
友好団体は日本にとっても重要な礎
最後に、日本中国友好協会などの国際友好団体の役割について。
「日本と中国の友好をつくるという理想だけでなく、日本という国を運営し、日本人が生活していく上でも重要な礎です。人と人との交流を頻繁にして、問題点は小さなうちに解決して、大局に影響を及ぼさないようにするべきですから」
「しかし、私は日本全国で年間60〜80回講演を行なっていますが、日中友好団体から講演の依頼を受けたのはこれまでの24年間でたったの3回です。私も含めた、多くの『知日派』の中国人は、友好団体の皆さんにとって近い存在のはずですから、ぜひこの点も考えてもらいたいですね」と強調しました。
(Z)