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日中友好新聞

2009年1月5日号1面
2009 新春特集
日中友好の翼
トキふたたび大空へ

 日本のトキは明治以降、急速に減少し2003年には絶滅してしまいました。しかし、佐渡で日中共同の人口繁殖に成功、野生のトキの復活を目指しています。その前途には多くの困難が予想されますが、新年を迎え、トキがふたたび日本の大空いっぱいに舞う夢が広がっています。

 

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翼をいっぱいに広げるトキ(新潟日報2008年9月25日付 新潟日報社提供)

空を「トキ色」に染める

 

 人間が絶滅の渕に追い込んだ種を、同じ人間が救い出せるだろうか、世界でもあまり例のない試み。2008年9月25日佐渡で行なわれたトキ10羽の放鳥式典には、新潟県知事や崔天凱中国大使も出席、地元紙には「日中友好のシンボル」の大きな見出しが躍りました。
 この日を特別な思いで待っていた人がいました。民間のトキ保護の中心になってきた、佐渡では知らない人のいないトキの先生、保護会顧問佐藤春雄さん(89)です。
 「今日は60年以上トキを見てきた中で一番嬉しい」
 トキ=朱鷺、学名「Nipponia Nippon(ニッポニア ニッポン)」、全長約75センチ、羽は裏表とも淡いピンク、トキ色といわれる、他に類のない美しい色です。群れを作って飛ぶ美しさは「空をトキ色に染める」といわれていました。

 

トキを絶滅から救いたい

 

 日中戦争に従軍した佐藤さんが、敗戦で生まれ故郷の佐渡に復員したのは45年11月、もともと鳥好きだった彼をたくさんの鳥が出迎えました。しかし、トキはいません。すでにトキは25羽に減っていて、島の人でも滅多に見られなくなっていました。
 29歳になったある日、佐藤さんはついに夕焼けの空を飛ぶ1羽のトキに出会います。夕日を受けてトキ色の羽は赤く輝き、それは神々しいまでの美しさでした。
 すっかり魅入られた佐藤さんはこのあと一生「トキと生きる」ことに。「トキを絶滅から救いたい」。トキを追う日々が始まります。
 商業科の教師として両津高校に出勤する前、朝4時、自転車で15キロ、1時間かけてトキのいそうな所を探す。双眼鏡をのぞき、フンを採集する、持ち帰って分析し何を食べているかを突き止める――。
 佐藤さんは戦争を通して平和と命の尊さを学びました。「トキも人も同じ尊い命、どうせ絶滅するのだからと、手をこまねいていていいはずがない」。強い思いが、佐藤さんを突き動かしました。

 

誰もがあきらめかけていた

 

 トキは20世紀初めまで、ロシア、中国、朝鮮などに広く分布していました。それが乱獲や環境の悪化などで次々に絶滅、日本に残るだけになっていました。日本でも明治以降減りつづけ、1950年頃には、佐渡の25羽だけに。そして、03年には最後の1羽キンが死に、日本のトキは絶滅しました。
 53年、佐藤さんは仲間に呼びかけてトキ愛護会(のち保護会)を結成、県や国にトキの保護を訴えます。その結果、ようやく1975年、国の「人工飼育計画」がスタート。国(環境庁、現在の環境省)が本腰を入れて保護に取り組むことになります。
 しかし、人工増殖の試みはことごとく失敗、1981年には佐渡のトキはとうとう僅か5羽に。絶滅は時間の問題だと、誰もがあきらめかけていました。

 

中国から差し伸べられた手

 

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期待と不安を胸に放鳥式典に臨む佐藤春雄さん(中央)(新潟日報2008年9月26日付新潟日報社提供)

 そんな時、奇跡が起きます。これまで中国のトキは絶滅したと信じられてきました。それが1981年、省都西安や延安のある中国西部の陝西省、その洋県の山奥の村で、7羽の野生のトキが発見されたのです。しかもまぎれもなく「Nipponia Nippon」、日本のトキとまったく同じ種。トキの保護に国境はありません。
 情報がすばやく交換され、1985年には「日中野生鳥獣保護会議」開催となり、両国の協力が具体化。日本は蓄えてきた人工増殖の技術を提供、その技術を使って1989年、中国で最初の人工孵化に成功、2羽のヒナがかえります。
 1997年には112羽に。佐藤さんたちの保護会も応援。1995年からたびたび陝西省洋県を訪問している佐藤さんは、「トキこそ日中を固く結ぶ友好と平和の架け橋だ」と確信。佐渡にきた中国の関係者も佐藤さんを訪れるようになります。
 そうした中、1998年に来日した当時の江沢民中国国家主席が、「日中友好の証」としてトキを贈ると表明、1999年には贈られたペアの友友、洋洋の卵の人工孵化に初めて成功、ヒナは優優(ユウユウ)と名付けられました。翌年には優優のお嫁さん、美美(メイメイ)も来日、日本のトキの人工増殖は軌道に乗っていきます。「いま日本にトキがいるのは中国のおかげ」と佐藤さん。

 

トキの未来は人間の手に

 

 08年9月に放鳥された10羽のトキは、12月に1羽が死に、他の1羽が行方不明になっているのを除いて無事が確認されています。
 1羽はなんと佐渡から100キロも離れた対岸の、新潟県関川村で発見され、日本海を越えていった、そのたくましい生命力が感動を呼んでいます。
 放鳥時に、日本のトキは122羽(!)まで増えました(中国は1000羽超え)。関係者の当面の願いは野生に定着してくれること。しかし佐藤さんは放鳥成功の喜びの中でも「いまの環境で生きていけるだろうか」という不安をぬぐいきれません。
 トキはドジョウ、フナ、カエル、イナゴ、バッタなどを食べて生きています。全島をあげた努力で棚田の整備などが進んだとはいえ、国の減反政策で水田が減っていてエサは十分とはいえません。それに北国のきびしい冬。自然と人間の共生を象徴するトキの運命は、私たち人間にかかっています。
 4月で90歳を迎える佐藤さんは深い愛情をこめて生涯の友の行方を見守り続けます。
 「トキの親子が巣の中で仲よく団らんする、その姿を見届けるまでは死ぬわけにはいかない」。
(新潟支部・星山圭)

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