日中友好新聞
2008年7月15日号1面
「戦争しない日本」示すべき
インタビュー特集
聖路加国際病院理事長
日野原重明さんに聞く
日野原重明 (ひのはら・しげあき)
1911年山口県生まれ。
37年京都帝大医学部卒業、41年東京の聖路加国際病院内科医となる。内科医長、院長代理、院長を経て、現在は聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護学園理事長などを兼任。2000年9月、これまでの人生で培(つちか)った経験や過去の教訓を次世代に伝えることを目的に、「新老人の会」を結成。『生きかた上手』『いのちの授業』(ユーリーグ)、『いま語り残す戦争』(講談社)、『いま伝えたい 大切なこと いのち・時・平和』(NHK出版)などをはじめ、著書多数。
96歳で現役の医師として活躍する日野原重明さんは、出版、講演などで平和といのちの大切さを訴え続けています。日本と中国の友好、平和なアジアの未来について、お話を聞きました。
戦争に巻き込まれない態度表明を
「日本からの支援は遅かった。たくさんの建物が倒壊しているわけだから、必要とされている実力のある自衛隊を最初に行かせるべきだった」
中国四川大地震への日本の支援について、日野原さんは最初に政府の態度を厳しく指摘しました。
「しかし、日本の自衛隊はすでに軍隊的色合いが強くなっているから、行きにくくなっている。中国側も『これは問題になる』と危惧しているのではと思っています。『今後、日本の自衛隊は戦争に巻き込まれません』と宣言するような態度を示せば、向こうも支援を受けるでしょう」
日野原さんは戦時中、空襲で火傷を負った多くの人が聖路加国際病院に収容され、苦しみながら死んでいくのを目の当たりにしました。
また、1995年の「地下鉄サリン事件」発生時には、被害者を無制限に受け入れて治療に当たるなど、非常事態の下での過酷な医療を経験しています。
「日本から派遣された医師団の人数も政府の援助にしては少なすぎる。災害の現場は、まさに野戦病院の状態です。大量の薬や食料が必要だし、医師も何十人と集めないといけない。それくらいの規模で支援をしないと、何もできません」と言葉を強めます。
医師として戦争を明らかにしたい
日野原さんは、財団法人笹川医学医療研究財団の奨学金留学事業で来日する中国人留学生と毎年会うなど、中国の若い世代と直接交流する一方、第二次大戦中に日本が中国で多くの命を奪った事実の追及に力を入れています。
「南京事件で、日本軍は妊娠した女性のお腹を銃剣で突くなど、相手の兵隊でなく市民をたくさん殺した。ハルビンでは、石井部隊が捕虜を集めて、生体実験を繰り返し、医学的成果を得た。その中心である石井さん(石井四郎=旧日本陸軍軍医、731部隊を創設し、細菌兵器、人体実験などに携わった)は戦犯にされない。僕は医学部の学生の時、石井さんの話を聞いたのです。捕虜を集めて、伝染病などの実験をするんだと。ひどいですよ。ああいうことが今の日本の若い人たちに知らされていない」と、日本のマスコミ、歴史教科書などの問題を指摘します。
9条を守るのは君たち自身
日本とアジアの友好、平和な未来のあり方について、日野原さんは明確な展望を話します。
「自衛隊がアメリカの集団攻勢戦略に組み込まれ、北朝鮮の『脅威』から日本を守ろうとか、そういうことをやめれば、日本が攻撃されることなんてありません。ここで一番日本がやるべきは、憲法9条を完全に守るということ。本当に必要なのは、世界で事件が起こったときに、自衛隊がボランティアとして助けに行くという貢献です」
いま、日野原さんが注目するのが、日本の若い世代の選択です。
「(憲法改正についての)国民投票で、日本がどうなるか決まるでしょう。僕は、18歳に選挙権を与え、若い人に事実を告げて、『君たちの時代だから、君たちが平和を守るんだ』と選挙権を与える運動をすべきだと思います。反対の世論もあるが、若い人はきっかけを与えると成長すると考えています。そうやって9条を守るということをしなければいけません」と言葉を強めました。
(Z)