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日中友好新聞

2008年1月15日号1面
絵手紙の心が結ぶ日中友好
「中国世界遺産」をかく山路智恵さん

 

 日本でも屈指の豪雪地である長野県北部の栄村に、昨年7月「山路智恵絵手紙美術館」がオープンしました。山路さんのライフワークに「中国世界遺産をかく」があります。ゆったりとした館内に展示されていた多くの作品のなかでひときわ目を引く「北京・天壇」「揚州・大明寺」「西安・兵馬俑」などの力作に圧倒されました。

100万通を超す「絵手紙」を収蔵

 「絵手紙」はいまでは日本のあらゆる分野で愛用されています。美術館に隣接する「栄村国際絵手紙タイムカプセル館」(同じく07年7月に開館)には、明治・大正・昭和を生きぬいた人びとの100万通を超える絵手紙が収蔵され、常時展示されています。それを見ると、絵手紙が国民の暮らしを映し出していることがよくわかります。いま「絵手紙」は中国をはじめ海外にも大きく広がっています。

2000日連続で描き続ける

 山路智恵さんは、小学1年から絵手紙を始め、すでに20年近い経験をもっています。絵手紙を知った小学1年から6年まで毎日欠かさず書き続け、その日数は2000日に及んでいます。
 中国を描くきっかけとなったのは、大学時代に中国の学校を中心に絵手紙普及に努める日本絵手紙協会(東京都中央区)の絵手紙親善大使として訪問したことでした。2002年の日中国交正常化30周年記念企画では、「第1回遣蘇使節団」の一員として「日中連合絵手紙展」(主催=蘇州市・日本絵手紙協会)に参加、個展も開きました。
 中国で初めて描いたのは、蘇州・寒山寺でした。以来、中国との交流を続け、中国の古い歴史に興味を深め、黄山・南京・西安・北京・桂林などを訪ね歩きました。作品のなかには、「万里の長城」「天壇」など世界遺産になっている景勝地がたくさんあります。

中国取材の原点となった「鑑真和上」

 なかでも山路さんに大きな影響を与えたのは、「揚州・大明寺」でした。「鑑真和上は死を賭して日本に仏教を伝えた高僧であった」ことを知り、日中文化の歴史の深さに衝撃を受けました。帰国後は、鑑真和上とゆかりの深い、奈良・唐招提寺をはじめ興福寺、東大寺、薬師寺などを描き、細部までよく見るうちに唐代の文化がいかに深く日本に伝えられているかを知り、夢中になりました。
 山路さんは、「中国で、同じ場所で数日かけて描き続けていると、村の子どもや年寄りたちが何時間もみつめてくれる。仲良くなると、すすんで、きれいな水を自分の家から汲んでくれたりする」と話します。
 まさに、文化・生活を通しての日中友好そのものです。このふれあいも中国に何度も足を運ぶもうひとつの魅力だと話します。昨年末も1カ月取材に出かけました。

北京オリンピックで「世界絵手紙展」

 今年は「北京オリンピック」の年。絵手紙運動は、オリンピックにも貢献することになりました。絵手紙展が、オリンピック文化事業として正式に認可され、昨年は「北京オリンピック応援絵手紙展」が開かれました。オリンピック本番では、「北京オリンピック世界絵手紙展」が開催されます。
 その中心になって準備活動をしている島田幸吉日本絵手紙協会事務局長は「絵手紙は、中国から伝来した筆の文化≠ェ原点です。オリンピックを応援することで、世界の友好を深めようという考えから企画されました。中国と日本のオリンピック委員会から両手を挙げて歓迎されました。世界の人びとが絵手紙を通じてオリンピックに関心をもってもらえればと思います。100万通の展示を目標にしていますが、これからが大変です」と抱負を語っています。
 取材を通して「絵手紙」がつなぐ日中友好・国際友好の果たす役割の大きさを知ることができました。2000年を超える日中文化交流の歴史を、いまこうした形で生かすことが21世紀の日中友好でもあるとの印象を深くしました。(お)

 

山路智恵(やまじ・ともえ)さん
 1981年東京生まれ。小学1年入学式当日から6年間、1日も休まず絵手紙を小池邦夫氏あてに投函。大学卒業後、中国各地の「世界遺産」を含む景勝地で絵手紙を描き続ける。2000年7月に長野県栄村に「山路智恵絵手紙美術館」を開館。著書に『智恵の絵手紙1000日』(雄鶏社)、『いい春しょって2000日』(絵手紙株式会社)、『一片の詩にほほよせて』(同)など多数。

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