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日中友好新聞

2007年10月5日号1面

「歴史」と「平和」に目を向けて
国交正常化後の35年

写真目前に迫った日中国交回復を「内外世論の勝利」と喜び、真の友好の前進をめざして奮闘を誓う協会第21回大会(1972年9月23、24日)

 1972年9月の日中国交正常化から35周年を迎え、日中双方で「35周年」にちなんだ企画や記念行事などがさかんに行われています。日中戦争や国交断絶の時代を乗り越え、各方面の交流の扉が開かれて35年――過去、現在、未来の日中関係を改めて考える時期です。

日中両国のより良い未来に向けて

 中華人民共和国が成立した1949年以後、アメリカの「中国封じ込め政策」に組み込まれた日本は中国と敵対する政策をとり、72年までの約23年間、中国と国交がありませんでした。
 しかし、民間では中国との良好な関係への願いがあり、1950年には日本中国友好協会が設立。国交のない中での人と経済の交流、残留邦人の帰国運動、「強制連行」などによる殉難中国人の遺骨送還、中国文化の日本への紹介などを行うなかで、国交回復を求める運動が国民の間に広がりました。
 そして1972年9月、田中角栄首相の中国首脳との会談で「日中共同声明」(9月29日調印)が発表され、こうした国民の要求が結実。日本中国間の人的往来と経済交流は今日に至るまで大きな発展を遂げました。
 しかし現在、中国・アジア諸国への侵略戦争の被害者に対し適切な対応をとらず、事実を否定しようとする政府の行為や態度が内外の批判を浴びています。また、アメリカとの軍事同盟強化や「改憲」など、日本を再び戦争する国に向かわせる動きも、中国などの反発を招く要因となっています。
 平和的手段による国際紛争の解決が主流となっている現在から日中関係のより良い未来を考えるとき、これらの問題の解決がますます重要な鍵となるでしょう。

写真国交回復運動の思い出

 橋爪 利次(協会参与)

 日中国交回復の報に接したとき、「ついに実現したか」と、感慨深いものがありました。私たちが日中国交の要求を始めたのは中華人民共和国誕生のころで、活動の仲間が訴えまわるなかで「お前らは中共の日本赤化工作の手先か」と、怒鳴られたという話もありました。
 それがだんだん理解が広がり、「日ソ日中国交回復国民会議」、「日中国交回復国民会議」ができ、やがて大西良慶、松本清張ら各界の著名人35氏呼びかけの3000万人署名運動へと発展しました。
 しかし残念にも、中国の文革派の干渉で共闘に困難が生じました。それでも私たち日中友好協会は、国交回復実現まで「平和五原則にもとづく国交回復を」と運動を続けたものです。
 田中角栄訪中の国交の裏に、アメリカの対中政策の転換、日本政府の対米追随などいろいろありました。田中首相を功労者として讃える声も聞こえます。しかし忘れないでほしいのは、国交回復実現に至る経過に、草の根に根ざした大勢の人たちの献身的な運動があったことです。

写真“日本に帰れる”と、大きな期待もったが…

 斉藤弘子さん(中国「残留」孤児訴訟原告団)

 国交回復は、中国の吉林市(吉林省)で知りました。当時35歳で小学校の教員をしていました。テレビで田中首相が「中国在住の日本人はどうなりますか」と聞き、周総理が「これからは本人の自由意思です」と答えたのを見て、「日中関係は良くなる。日本政府から帰国の呼びかけがあるはずだ」と大きな期待をもちました。
 当時、中国はまだ「文化大革命」の最中にあり、日本への帰国のために動くことはできませんでした。3人の子ども、夫とその両親も健在でした。「下手に動いたら、家族にどんな災難が降りかかるか知れない」という不安が先立ち、家族や知人にも帰国のことは一言も話せませんでした。
 国交回復から10年後にやっと「肉親捜し」が始まりましたが、私の帰国は1991年、すでに52歳でした。むろん日本語を話せません。もし、国交回復直後にすぐに帰国できていたら、日本語も早くに習得し、まともな仕事ができたと思います。日本政府の対応の遅さにいまも憤りをもっています。
 帰国後、一生懸命日本語を覚え仕事に就き、家族を呼び寄せましたが、いまでも暮らしは厳しい。「新支援策」や、「国交回復」は明るいニュースなのに、いまでも、重い悲しい思い出の方が先に出てきます。

写真日中両国の平和な友好協力 関係を大きく発展させよう

 伊藤 敬一(協会名誉会長)

 35年前の日中国交回復を、私たちは内外世論の勝利、協会創立以来の宿願の実現として喜びました。これは、日中友好協会が活動の目的とする、両国民が自由に交流し、相互理解を深め、両国の友好協力関係を発展させていくための基礎ができたことであり、日中両国の平和と繁栄のみならず、アジアと世界の平和と繁栄にもつながる道ができたからです。
 この35年間、両国間にはいろいろな紆余曲折がありましたが、今や中国は改革開放政策のもとで経済的発展を遂げ、北朝鮮問題の六カ国協議でも、ASEANやAPEC、上海協力機構などでも大きく平和外交を展開し、世界的な地域協力や平和の潮流のなかで大きな役割を果しています。
 日本も侵略戦争の反省に立った積極的平和外交と、中国に軸足を置いた和解と協力のアジア外交を展開して国際的な友好・信頼・協力関係を築いていくべきだと思います。
 戦前同様の靖国史観や偏狭な排外国粋主義を振り回して憲法改悪や日米軍事同盟強化ばかりに狂奔するような日本政府の軍国主義傾向に未来はありません。広く国民に不再戦平和と日中友好の風を起こし、居心地のよい日本と中国にしようではありませんか。

 

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