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日中友好新聞

2007年1月25日号1面
(日中戦争などの記述)

表現変えたが
歴史観改めず
靖国神社 遊就館が展示を一部手直し
長谷川順一

 

写真

右側が遊就館のエントランス

 日中首脳会談の実現、日中歴史共同研究のスタートなど、日中関係に雪解けムードが広がるなか、「靖国神社」の歴史観を宣伝する施設「遊就館」は、内外の批判のもと中国に関する展示を一部手直しし、1月1日から一般公開しています。
  靖国神社に詳しく、同館の新展示を見学してきた長谷川順一氏(日本中国友好協会東京都連理事)にその内容と問題点を紹介してもらいました。

 靖国神社社務所が発行する会報「靖国」は1月1日号で「遊就館展示見直し作業中間報告」として、「昨春より各分野の専門家の御指導御助力を得て、展示見直しに向けた検討作業を進めている。検討の対象は展示品、展示品解説、歴史記述のすべてに及ぶが、昨年末に第一次の展示変更をおこなった」と述べています。
 会報には「歴史記述パネルのうち今回変更のあったものに『日露戦争から満州事変』『満洲の歴史』『支那事変』『ヒトラー』『スターリン』『ルーズベルト』『日米交渉』の各パネルがある」とありましたので、展示を見てみましたが、米国の政治家などから批判が出ていた「ルーズベルト大統領が経済復興のために日本に開戦を強要した」との内容が完全に書き直され、並んで展示されていた「三国同盟」のパネルは影も形も見えませんでした。

「日本の立場を主張」が基本方針

 「支那事変」(1937年の盧溝橋事件)では、「蘆溝橋の小さな事件が、中国正規軍による日本軍への不法攻撃、そして日本軍の反撃で、北支那全域を戦場とする北支事変となった背景には、日中和平を拒否する中国側の意志があった。戦場を上海・南京へと拡大し、広大な国土全域を戦場として、日本軍を疲弊させる道を選んだ蒋介石は、大東亜戦争終戦までの8年間を戦い、戦勝国側の一員となった」と書かれていましたが、「中国正規軍による日本軍への不法攻撃」「日中和平を拒否する中国側の意志があった」の文言を削っただけで、「中国共産党による抗日テロの激化」「中国側の反日気運」「中国側の挑発」を新たに挿入しました。
 「南京事件」も「南京城内では、一般市民の生活に平和がよみがえった」は削除されましたが「市内では私服に着がえて便衣隊となった敗残兵の摘発が厳しく行われた」として、「大虐殺」はなかったという立場は変わりません。
 産経新聞1月3日付は「中国関係の記述も見直されたが、日本の立場を主張するという展示方針は維持された」と報じていますが、まさにそのとおりでした。

侵略、植民地支配に言及なし

 「皇国史観の戦争回廊」といわれている遊就館の展示は、日本が行なった戦争を、「自存自衛」と欧米勢力からアジア諸民族を「解放」するための戦争として描きだしています。そこには、「侵略」という言葉さえありません。
 戦争の呼び名も、「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」など、侵略戦争であることを認めたくないために、当時の政府・軍部が命名したものをそのまま使っています。民衆の戦争被害についても、アメリカが投下した原子爆弾による犠牲者数だけは「広島20万人、長崎8万人」と紹介していますが、アジア太平洋戦における日本国民310万人、アジア全体で2000万人以上といわれる犠牲者などについての言及はどこにもありません。
 日本が行った植民地支配、侵略の実態についての説明がないというのも遊就館の展示の特徴のひとつです。そして「満州事変の後に清朝の宣統帝を元首とする満州国が建設されたが現在は中国が支配し、東北部と称している」という説明など不当な展示には、今後も厳しい批判を強めていくことが必要と思います。



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