中国の作家で人権活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)氏が7月13日、入院先の中国遼寧省・瀋陽の病院で肝臓ガンのため亡くなりました。
劉氏は1989年の天安門事件の直前に、研究員をしていた米コロンビア大学から帰国し、学生らの民主化運動に参加し、北京・天安門広場で学生たちに平和で民主的な行動を呼びかけ、また戒厳令に反対しハンストを行いました。
天安門事件は劉氏の願いとは逆に人民解放軍による武力鎮圧で悲惨な結果で終わりました。「反革命罪」で1年7カ月投獄された劉氏はその後も中国国内にとどまって言論活動を続け、2008年にインターネット上で中国の民主化を呼びかける「08憲章」を起草し、中国共産党の一党支配の放棄や言論の自由を訴えましたが、発表前日に再び拘束され、2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決を受けました。
同年10月、獄中にあった劉氏は、「中国での基本的人権の確立のため長年にわたり非暴力の闘いを続けてきた」との理由でノーベル平和賞を受賞しましたが、中国政府は「ノーベル平和賞を冒涜(ぼうとく)するもの」と反発しました。今年5月23日に末期の肝臓ガンと診断されて病院に移送され、劉氏本人はドイツか米国での治療を希望しましたが、中国当局が病状を理由に出国を認めなかったと報じられています。
中国の国内では、劉氏の米ブッシュ政権のアフガン侵攻やイラク戦争の支持、「欧米全面化」による民主化などの政治的主張との違いを越えて、言論の自由と劉氏の釈放を求める声が幅広く存在していました。
協会は天安門事件発生当時、65団体が参加した「緊急各界代表者会議」を開催するなど、「基本的人権の擁護・尊重」の立場から中国政府による武力弾圧に強く抗議し、民主化を求める中国の国民との連帯を表明しました。
劉氏の死去に当たり、協会の田中義教理事長は7月20日に以下の談話を発表しました。
「劉暁波氏は一貫して非暴力を貫き、自らの主張はあくまでも言論活動を通して伝えてきたと言われています。そして天安門事件の当事者の一人として政府の誤りを告発してきました。
この劉氏が自由を奪われたまま、事実上の『獄死』で、その生涯を終えたことは残念でなりません。劉氏の言論内容が権力者にとって認められないとしても権力による弾圧は決して許されず、あくまでも言論で対応することが近代国家には求められます。
劉暁波氏だけではなく、今でも弁護士や人権活動家などが逮捕、投獄され、家族などとの接見も許されていないとの報道も続いており、中国政府の強硬な姿勢に対して日本はじめ世界中が憂慮しています。中国における基本的人権の擁護・尊重が強く求められています」
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