1967年、善隣学生会館(東京都文京区後楽)にあった日中友好協会本部事務所が暴力をもって襲撃されました。この事件を体験した人は70代以上になっており、自ら体験した人は少なくなっています。
中国との関係が回復し、交流も盛んになりましたが、事件を忘れずに教訓とすることが、今後の日中友好運動にとっても、未来に向かって発展させるためにも大事なことだと思います。
1966年、中国で文化大革命が始まり、毛沢東などは日本も文革式の革命が必要だと主張し、それに同調した一部の役員が協会から離脱、別組織を作ったのは同10月のことでした。
翌年の67年2月28日に本部事務所がその組織に影響を受けた集団に襲撃されるという事件が発生したのです。文革を支持しなかったという理由だけですが、事務所の窓ガラスは割られ、水浸しにされ、襲撃があるため部屋の外にあったトイレにも行くことができないという状況でした。
それから3年の間、散発的なものも含め100回以上にわたって暴力行為は続けられ、300人以上の重軽傷者が出ました。この事件は、日本の友好運動への干渉の結果起こったものですが、その後、国内の多くの団体、大学、民主運動にも同様の混乱が持ち込まれたのです。
協会は、その間全国の会員や平和民主団体などの支援を受けて事務所を守り抜き、日中不再戦平和運動、中国語や太極拳をはじめ、中国の文化を学ぶなど、草の根の運動に取り組みながら協会を存続させてきました。
協会は襲撃を受けた直後から、33年にわたって中国側から一方的に関係を断たれましたが、中国自身が文革の誤りを認め、99年に中国側の反省などもあり、交流が再開し、今日に至っています。
あれから50年が経過しました。多くの人はその事実を知りませんし、そのような暴力的な事件があったことは信じがたいかもしれません。しかし、それは紛れもない事実でした。そして、その事実の中で、あらゆる困難を克服して、原則を守り、日本の国民の中に運動を広げようと努力したことが、今の友好運動がある証でもあります。
協会は、60数年の歩みの中で、アメリカ占領軍や日本政府の妨害など、多くの困難と闘い、日本国民の自主的友好運動としてたゆまぬ努力を続けてきました。
善隣学生会館事件から50年を経た今、あの事件の本質を省み、これからの友好運動のあるべき姿を改めて確認することが大事だと思います。
2017年4月15日
日本中国友好協会
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