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HOME > 日中友好新聞 > 2016年9月5日号

日中友好新聞

柳条湖事件85周年
いま私たちがやらなければならないこと
井上久士副会長に聞く


 

shinbun

事件直後の柳条湖の爆破現場



 今年は「9・18柳条湖事件」(注1)85周年の節目の年に当たります。この事件は、1945年8月15日まで続く15年戦争の始まりでもあります。
 関東軍がつくった「満州国」とはどんな国だったのか、また元日本軍の中国での加害の歴史は、日中両国の人びとにどう受け継がれていったのか…。いま私たちがやらなければならないことは何かなど、駿河台大学教授(専門は中国近現代史・日中関係史)で日中友好協会副会長の井上久士さんにお話を聞きました。(編集部)



「満州」全土を占領

 柳条湖事件を口実に「満州」全土を占領した関東軍が翌1932年3月に建国した「満州国」については、「東北3省では中華民国から独立する運動はなかった」と指摘、「リットン調査団(注2)の報告の通り、『満州国』は国家とは認められない。関東軍による『かいらい国家』=『偽』満州国であったことは明らか」と強調します。




平頂山事件とは?



 同年9月15日には、抗日ゲリラが南満州鉄道(満鉄)の経営する撫順炭鉱を襲撃し、日本人職員ら5人を殺害。日本軍守備隊は翌16日、「平頂山村民が抗日ゲリラと通じていた」と決めつけ、子どもから老人までの無抵抗の全村民を集めると、機関銃や銃剣で殺害、17日には遺体を焼き、土砂で埋めて「虐殺」を隠ぺいしました。これが「平頂山事件」です。犠牲者はおよそ3000人。
 井上さんは「柳条湖事件は計画的かつ謀略的だが、平頂山事件は無計画で衝動的。中国人を『人ではなくモノ扱い』する、当時の日本軍による残虐行為の原点といえる事件」と分析します。



安倍首相の歴史認識



 昨年の戦後70年談話で安倍首相は「子や孫、その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と発表しました。
 しかし、2004年から平頂山事件の中国人生存者による損害賠償請求訴訟に加わり、原告側証人を務めてきた井上さんは、この談話に「侵略戦争と認めていない」と異議を唱えます。
 「学者の立場で事件の詳細を明らかにしていく過程で、『ぼたぼたと母から流れ落ちた血が、私の体を伝った』という事件生存者の証言は、肌感覚にもとづく記憶であり、真実だと確信させられました」。
 司法の判断でも、戦時中の国の不法行為から生じた個人の損害について、国は賠償責任を負わないという国家無答責を理由に損害賠償は認められなかったものの、虐殺の事実は認定され、2006年に確定しました。
 井上さんは、川上詩朗弁護士とともに2012年9月に『平頂山事件資料集』(柏書房)を上梓。「事件を目撃した人や生存者たちは戦後もずっと口を閉ざしてきたので、事件に関する資料がありませんでした。これは訴訟に当たり、資料の発掘や、聞き取り調査をまとめた一冊であり、日中両国の歴史事業の共同の成果。私たちは当時の中国の人たちが受けた加害の体験や思いを知ると同時に忘れてはならない」と強調します。



今やるべきことは?

写真2 日中友好協会
井上久士副会長

 4日目は北海商科大学で、「強制連行・強制労働」について、4氏の講義を受けました。  日中歴史問題の溝を埋めるためにはどうしたらいいのでしょうか。井上さんは「『日本がいつまでも過去を忘れない』と言い、中国が『過去より未来志向で考える』と言うようになって初めて健全で安定した関係となるだろう」と語り、加害の事実にもとづく正しい歴史認識が日中友好運動にとって大切と指摘します。  今年9月16日には、恒例の平頂山事件の式典とシンポジウムに参加するため遼寧省・撫順に向かいます。  「昨年の式典では開催以来、被害に遭われた生存者の参列が初めてゼロになりました。 平頂山事件を風化させず、その加害の事実を日本人に伝えていきたい」と語りました。

(押)




(注1)柳条湖事件
 1931年9月18日夜、奉天 (瀋陽) 北部の柳条湖で南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件で、「満州事変」の発端となりました。爆破したのは奉天独立守備隊の河本末守中尉らで、満州での武力行使の口実をつくるため石原莞爾、板垣征四郎ら関東軍幹部が仕組んだものでした。

(注2)リットン調査団
 1932年、国際連盟が「満州事変」究明のため現地に派遣した調査団。リットンは、団長を務めた英国の政治家。



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