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日中友好新聞

2013年2月25日号1面
敦化遺棄毒ガス被害事件 いっそうのご支援を
東京高裁の審理 重要段階に
菅本麻衣子

 04年、旧日本軍の遺棄毒ガス砲弾で負傷した中国吉林省敦化市の少年2人が日本政府に賠償を請求し提訴している東京高裁の審理が重要段階を迎え、原告2少年への支援が切実に求められています。
 この問題について、担当の菅本麻衣子弁護士に聞きました。

 

事件のあらましと2人の被害

 

写真1 日本中国友好協会
旧日本軍の遺棄毒ガス弾で
負傷した原告の少年たち

 2004年7月23日、吉林省延辺朝鮮族自治州敦化(とんか)の市街地から約50キロ離れた蓮花泡(馬鹿溝)林場の小川で、周桐くん(当時12歳)と劉浩くん(当時8歳)たちが水遊びをしていたときに、周君が偶然毒ガス弾をひろってしまいました。
 毒ガス弾から漏れ出た毒ガス液を、周君は脚と足に、劉君は脚と手につけてしまいました。2人が毒ガス液をつけてしまったところには、大きな水疱ができてしまい、激しい痛みがありました。
 2人は病院に運ばれ、水疱を切るなどの処置を受けて、約60日間入院しました。
 しかし、2人の被害は、水疱だけではなかったのです。退院して戻った2人は、免疫力が大幅に低下し、しょっちゅう風邪を引くようになってしまいました。
 そして、集中力がなくなり、成績も落ちてしまいました。周くんは、学校にもどったものの、いじめに遭い、学校をやめてしまいました。
 毒ガスは発ガン物質でもあり、今後はガンを発症する危険もあります。

 

08年1月、提訴

 

写真2 日本中国友好協会
劉浩くん

 そこで当初、日本政府に2人の医療ケアなどを求めて要請を行いましたが、進展が見られず、2008年1月17日、東京地方裁判所に提訴しました。
 事故の後、日本政府が現場の調査を行なったところ、莫大な数の毒ガス弾が埋まっていることが分かりました。発掘調査はまだ終わっていません。
 日本政府は1991年、遺棄毒ガス兵器の調査に中国に行った際に、同じ場所で被害にあった老人から話を聞いています。1992年には、この場所を毒ガス兵器が埋まっている危険のある場所として名指しした文書を日本政府が受け取っています。ここにたくさんの毒ガス弾が埋まっていることを日本政府は知っていたのです。
 にもかかわらず、2012年4月16日、東京地裁は、2人の請求を全く認めない不当判決を出しました。
 そこで私たちは控訴し、現在東京高裁でたたかいを続けています。

 

判決の問題点

 

写真3 日本中国友好協会

周桐くん

 まず、地裁判決は、私たちが出した主張を全く無視した、裁判のルールに違反した不意打ちの判決でした。
 そして、「化学兵器について、遺棄国の廃棄処理責任を基礎づける国際慣行はいまだなかった」「終戦時に中国国内に遺棄したことから当然に、遺棄化学兵器を回収して事故を防止すべき責務が日本国政府に生ずるものとはいえない」というのです。毒ガス兵器は、日中戦争の時点ですでに違法な兵器だったのに、どこにも引渡しもせず遺棄した、にもかかわらず何も責任をとらなくてよいと言うことが許されるのでしょうか。
 しかも、50年前に事故があっただけで、その後事故が起きていない、だから同じ場所でまた被害が起きる危険は認識されていなかった、危険が認識されていない状態で被害防止のために立ち入り禁止にするなどして調査をすることは住民の理解が得られない、などというのです。
 日本で遺棄毒ガス兵器が見つかったら、被害が起こったら、こんな言い分が許されるでしょうか。地裁判決には、中国に対する差別を感じます。

 

傍聴やカンパのお願い

 

 遺棄毒ガス被害は、今起こっている被害です。今起こっている被害は、今回復しなければなりません。皆様のご支援をお願いします。
 私たちは、裁判支援のために「周くん・劉くんを応援する会」を立ち上げました。
 裁判傍聴(次回は3月26日〔火曜日〕午後3時から、東京高裁825号法廷)。カンパ(ゆうちょ00120-1-299877まで)などの形で、ご支援いただければ幸いです。(弁護士)

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