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日中友好新聞

2012年9月15日号1面
日中国交回復40周年に思う
国民レベルの相互理解育てよう

 9月29日は日中国交回復40周年に当たります。各界で活躍されている5人の方から「日中国交回復40周年に思う」と題してコメントを寄せていただきました。五十音順に(王、莫両氏は日本語の発音で)紹介します。今後も随時、日中友好に携わった方々のコメントを掲載する予定です。(編集部)

 

一つ屋根の下で40年
王 敏氏
(法政大学国際日本学研究所教授、中国社会科学院日本研究所客員研究員)

 

写真1 日中友好協会
王 敏

 東アジアの中で特に日中の間では、古来共通の文化素養をもちながらも、それぞれの地域における時代の変遷によって、精神遍歴と体験知が異なってしまう。普遍性に通じると思われている生活と文化を取ってみても、時代の通過によって大きな相違があることに気が付く。
 東アジアにおけるそれぞれの地域の特性に連動して相互認識の課題定義、概念、内容および表現形式も不同である。これらの相違はたとえ国境を越えた共有の利益に対しても、しばしば相互誤解のもととなり、摩擦の要素となりかねない。
 この課題を乗り越えるため、共通の文化素養と価値基準を再認識していく必要がある一方、異なる部分を明瞭に浮かばせていくのも重要と思われる。特に欧米価値基準の教養に慣れてきた戦後日本の「風土」にとって、この過程は自己認識の良性循環であり、同時に東アジア諸国との相互学習、相互発展の深化にも繋がると考えられる。
 それを実践の中で検証していき、時代に求められている対東アジア、対中国への非西洋型の対応通路が見えてくるだろう。

 

 

節目の年に当たり最も重要と考えていること
中江 要介氏 (元駐中国大使)

 

写真2 日中友好協会
中江 要介

 それは、日中両国および両国民が子々孫々にわたり「日中不再戦」を誓うことだと考えます。日中両国が相戦うことは、いずれの国にとっても不利であり、両国および両国民が友好協力関係の維持発展のため努力を惜しまぬことこそ、いずれの国および国民にとっても有利であることを肝に銘じることこそ最も重要なことであると信じます。
 日本人の中には、戦前の日中不和の時代の中国人に対する誤った優越感に立って中国人との平和友好の関係を築くべく真の人間と人間の関係を望むことを忘れた人がいたり、また中国人の中には、戦争中に日本人から不当な非人道的な扱いを受けた記憶を心の中に留めて日本や日本人に対する応対を極端に歪める人があったりしますが、このような心の狭い人間ではなく、40年前の日中国交回復時の初心に戻って、一衣帯水の引っ越すことのできない隣国同士の親しい仲間として永遠に「日中不再戦」を誓うことが今後とも最も重要だと考えます。
 なお、最後にぜひ一言付け加えたいことがあります。それは、日中両国のそれぞれの政治指導者が傲慢不遜を避け、謙虚さと包容力を兼ね備えていて欲しい、ということです。ということは最近の政治家には右にいうような資質を欠いている者が多いように思われるからです。

 

 

風物長宜放眼量(物事は長い目で見るのがよい)
莫 邦富氏 (作家・ジャーナリスト)

 

写真3 日中友好協会
莫 邦富

 40年前の1972年、日中国交正常化のニュースを私は「下放」先の黒竜江省の農村で聞いた。それ以降、月にあると思うほどに遠かった日本が急速に身近になり、いつの間にか私の人生の軌道を徹底的に変えてしまうほど重要な存在になった。
 日中関係はこの40年間で大きく変わった。蜜月という状態はとっくに終わり、今はむしろ釣魚島(日本名は尖閣諸島)など多くの問題が両国関係のさらなる発展を妨げている。年初、日本人から「国交回復40周年を祝うムードはない」と言われた。
 私は「長い目で日中関係を見よう。国交回復50周年を迎えるときはもうすこしムードがよくなるだろう」と答えた。
 日中関係はこれからも揺れ続けるだろうと思う。両国間の国力の逆転がいろいろな分野にさまざまな影響を与えている。それが落ち着くまではまだまだ時間がかかる。
 私たち両国民は、気長に日中関係を見守り、それを育てていく心的余裕と気持ちを抱くことが重要だ。今や故人となった毛沢東が、「風物長宜放眼量」という詩句を残している。日中関係を眺めるとき、まさしくこうした余裕と気持ちを抱く必要がある。
 同時に、築40年という日中友好ビルを長く持つためには、耐震構造を強化する工事を行う必要があるという認識ももつべきだ。40年前の「建築基準」では、政治的地震が多発する今日の問題に対応しきれない。
 国交回復40周年に当たり、もっとも重要なのは、日中関係の将来を信じる信念と、日中関係の耐震構造を強化する工事を早急に完遂しなければならないという危機意識を同時にもつべきことだ、と思う。

 

 

歴史と文化に根ざした交流を
安井 三吉氏 (神戸大学名誉教授)

 

写真4 日中友好協会
安井 三吉

 「日中共同声明」が調印されて40年になります。私もまだ30代初に過ぎませんでした。当時の感覚では、「国交正常化」というよりは「国交回復」がようやく実現したというものだったように思い起こしています。
 私が初めて中国へ行ったのは1982年、「共同声明」から10年目の夏のことで、教科書問題が起こった時期でした。同行の友人たちも初めての中国、というのがほとんどでした。
 そのときからもすでに30年もたったわけです。この間、日中間の人の往来、貿易などは予想をはるかに越えた拡大と深化をとげてきました。その一方で「歴史問題」など矛盾や軋轢も目につくようになってきています。
 91年にソ連邦が崩壊し、それに連動して「冷戦」という戦後を規定してきた大枠が消滅したこと、加えて日本も中国もさまざまな内的変化を経てきたことがその要因としてあるのではないかと思っています。矛盾は避けがたいでしょう。
 それだけに日中相互の歴史や文化に根ざした、幅広く、より深く確かな人と人の間の行き来がいっそう求められているのではないでしょうか。

 

 

市民一人ひとりが友好を
吉田 重信氏 (日中関係研究所主宰)

 

写真5 日中友好協会
吉田 重信

 近年日中関係は悪化しており、心が痛む。希望が満ちるべき21世紀が玄関口でつまずいてしまっているようだ。
 40年前、日中関係の将来に洋々たる前途があると思ったのは、はかない夢だったのか?私は国交正常化の直前に周恩来首相と固く握手した夜の記憶を大事にしている(下写真)。関係悪化の原因は複合的であるが、そのなかでも最大のものは双方のナショナリズムの高揚である。
 過去の歴史が示すとおり、国家の指導者はナショナリズムを利用して国民を戦争に駆り立てることが多い。超ナショナリズムに毒された超大国アメリカが戦争を煽り、諸国に悪い模範を示しているからだ。日本と中国が過剰なナショナリズムを克服しない限りは、子孫に明るい未来がない。
 頼りない両国政府に任せておけない今こそ、市民レベルでの友好親善交流を盛んにしていくべきだ。市民一人ひとりが友好の輪を広げる役割を果たすときが来ている。


写真6 日中友好協会

日中国交回復直前の周恩来首相と、左から2人目が筆者


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