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日中友好新聞

2012年5月5日号1面
河村発言批判の声広げよう
愛知県連代表団が南京訪問
鳥居達生

 日中友好協会愛知県連は3月24日から6日間にわたり武漢と南京へ旅をした。代表団(鳥居達生団長、冨田好弘副団長、八木幸夫秘書長)は岐阜県連の会員を含め一行27人。
 この旅行の準備中に思わぬ事件が突発した。それは河村たかし名古屋市長が来日した中国共産党南京市常務委員会代表団に対し南京虐殺を否定する発言をしたことである。この発言は日中交流の多方面にわたり支障が心配されている。その中での旅行であった。

 

きりえ展開催で合意 江蘇省人民対外友好協会で

 

写真1 日中友好協会
愛知県連が出した抗議文のチラシを持って写す(右から冨田副団長、朱成山館長、鳥居団長、八木秘書長の各氏)

 徐龍副会長と扈海鴎秘書長から歓迎の宴を開いていただいた。2人とも日本語が達者である。中日友好会館の一室で30人が一つの丸いテーブルを囲んで宴は始まった。
 徐副会長は「河村名古屋市長の発言を大変残念に思う。しかしながら、日本との交流は続けたい。日中友好協会愛知県連が河村発言にいち早く抗議したことは良く承知しており感謝します」と述べた。
 鳥居団長は、河村発言に対する愛知県連の見解と抗議行動を説明し、最近の主な活動(8月の戦争展、中国人強制連行問題など)を紹介した。また、日中友好協会の文化交流の一環としてきりえ展を開きたいと要望した。
 徐副会長は、「その件は、すでに承知しています。日中友好協会本部ともよく相談し、秋ごろまでに切り絵展示を実現します」と、心強い返事であった。

 

「民間交流は継続」と言明 南京市人民対外友好協会で

 

写真2 日中友好協会
徐副会長(右奥)に、河村発言が4頁にわたって報道されている在日中国人向け『中文導報』3月1日付を手渡す鳥居団長(中)

 代表団の鳥居団長、冨田副団長、八木秘書長は南京市庁舎を訪ねた。曹文堂副会長と孫曼友好工作処処長(外事弁公室)が応対した。
 曹副会長は次のように語った。
 「河村名古屋市長は、南京訪問団の前で中国国民を傷つけました。残念であり、悲しく思う。双方の努力によっていずれ障害はなくなるにしても、名古屋市との公的な交流は一時中止にしました。しかし禍が福に転ずるように望んでいます。日中友好協会愛知県連が、最初に河村名古屋市長に抗議したことは、新聞でも読みました。日本のいろんな団体が河村市長に抗議していることを知ってうれしく思います。南京市を支持する手紙も受け取りました。南京市は名古屋市と公的交流は一時中止するにしても名古屋市以外の交流はたくさんあります。名古屋市の民間交流は従来どおり続けます。2014年、南京市は青少年オリンピックを開きます。南京市と名古屋市の関係が元にもどることを願っています。南京市民は、平和を愛し二度と傷つけられたくありません」
 最後に曹副会長は、「ご声援ありがとう」と謝意を表した。
 河村市長批判の世論を起こし、市長自ら非を認め発言を撤回するか、市長が辞職するかしなければ関係修復は困難と思った。

 

献花し一同黙とう 南京大虐殺記念館で

 

写真3 日中友好協会
記念館の前で献花し黙とうした後、旅行団一同で記念写真

 「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」というこの長い名前の記念館を単に虐殺記念館と呼ぶ。記念館の玄関の大きな黒い石の壁には30万人虐殺の文字が刻まれている。その壁の前に日中友好協会愛知県連合会の名で献花し一同黙祷した。
 館内の資料として、生存者の証言録はもちろんあるが、その多くは当時の日本の新聞、雑誌、報道写真、日本兵の手記、および欧米記者の虐殺の記事である。
 記念館が建てられたところの一部は、事件当時、池で、そこに死体が投げ込まれたとのことである。記念館の拡張工事のときに、何層にもわたり白骨が現れた。白骨累々の現場が残されている。
 また当時、揚子江河畔に追い詰められた住民や国民党軍が日本軍の機関銃の一斉射撃で、数万人の単位で殺されたという小さい記念碑も広場の一角で見かけた。
 見学の途中、代表団3人は朱成山館長を表敬訪問した。朱館長は、代表団の来訪に感謝し、次のように述べた。
 「河村市長の発言は間違いです。石川会長(日中友好協会愛知県連)の抗議文は、こちらに届いております。大多数の日本人は南京事件を認めています。今年は中日国交回復40周年です。あなた方が中日友好を続け貢献されることを願っています」
 記念館を出ると広い芝生の庭があり、高さ十数メートルの白い大理石の女神が建っている。左手に小さい子どもを抱き、右手を高く掲げ白い鳩が止まっている。永久に平和を願う祈りの場である。(武漢・南京の旅 団長)

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