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日中友好新聞

2011年6月5日号1面
アジアの仲間と平和を絵本で世界に伝えたい
日中韓の協力で平和絵本

 今年4月、童心社から3冊の本が出版されました。浜田桂子『へいわって どんなこと?』、姚紅作・中田美子訳『京劇がきえた日』、イ・オクベ作・おおたけきよみ訳『非武装地帯に春がくると』。これら3冊は、「日・中・韓 平和絵本」シリーズの第1弾として同時出版されたものです。
 2005年から企画が始まった「日・中・韓 平和絵本」、今年の出版までのあゆみや思いを絵本作家、浜田桂子さんに聞きました。

 

アジアの絵本作家と向き合おう

 

写真1 日中友好協会
「絵本は一生の友達になる」と浜田桂子さん

 この企画のひとつのきっかけは、『世界中のこどもたちが103』(講談社)でした。04年、日本の絵本作家103人が絵を寄せて、戦争反対の意思を表明してつくった絵本です。
 翌年、この絵本に参加した田島征三さん、田畑精一さん、和歌山静子さんと話し合い、今度はアジアの作家と手をつないで絵本をつくろうと企画し始めました。
 まず、それまで交流のあった中国の絵本作家の周翔さん、蔡皋さんに呼びかけ、さらに06年、韓国の絵本作家のチョン・スンガクさんに呼びかけました。日本でも絵本が翻訳出版され、活躍している絵本作家たちです。
 その3人がそれぞれの国の作家へ呼びかけてくれました。とくに、出版社の編集者でもある周翔さんは、「日韓中の平和への思いを熱くもっている人を」と、思いの強さにこだわって声をかけてくださいました。
 その結果、中国の岑龍さん、姚紅さん、韓国のクォン・ユンドクさん、キム・ファンヨンさん、イ・オクベさんが参加してくださることになり、日中韓12人の絵本作家がそろいました。
 12人の絵本作家と各国の出版社が周翔さん、姚紅さんの地元である南京に集まり、会議を行なったのは07年、南京大虐殺から70年目の年でした。会議だけでなく、シンポジウムや原画展も開かれ、中国のみなさんからは「70年目という年にこのような会議が開かれたことは大きな意義がある」と歓迎を受けました。

 

信頼を深め合って

 

写真2

4月に出版された3冊

 企画が始まってからの6年間、「日・中・韓 平和絵本」の企画では、3カ国の作家たちの意見を聞きながら絵本を制作してきました。それは絵本界で前例のないことです。この企画を通じて、これらの作家といっそう信頼を深めていきました。
 『へいわって どんなこと?』では、「わるいことをしたらあやまる」という言葉を入れてと、韓国の作家から意見がありました。また戦争場面では、「戦争する飛行機が飛んでこない」、「爆弾が落ちてこない」という受身の文章でしたが、「日本人が無意識にもっている被害者意識だ」、「日本人は平和を考える場合、自分たちの被害から考える」と指摘されました。
 日本の植民地支配を経験した韓国ならではの意見です。そして、信頼を築いたからこその本音でもあります。
 私は、自分の平和意識というものを冷静に考えてみようと思いました。そして、確かに被害者からの発想が強く、加害に苦しんだ人びとの姿が薄いのではないかと気づいたのです。自分を見つめ、新たな視点を得ることができた歳月でした。
 韓国のイ・オクベさんは『非武装地帯に春がくると』で、朝鮮半島の非武装地帯を、帰郷を望むおじいさんの視点で描きました。

 

今回の試みを世界中に

 

写真3
なん冊もの試作本。3カ国の作家たちの意見を聞きながら、絵本の試作を重ねていった

 中国では通常、編集者が作家を選んで文章を依頼し、それに合わせて画家が絵を書くという方法で絵本を作るそうです。文も絵もひとりで作る絵本作家は、少ないと思います。
 つまり、今回、一人の作家が文も絵も作るオリジナル絵本、『日・中・韓 平和絵本』は、中国のみなさんにとっては初めての試みでした。
 ラフを描き、それをまとめ、絵本の形にしたダミー(試作本)を作って意見を出し合い、検討する。こういったプロセスを3カ国で共有しながら、絵本を作ってきました。
 姚紅さんの『京劇が消えた日』は、お母さんのエッセーを題材に、つまり体験を絵本にしたものです。
 今年中に、第2弾として日韓中1冊ずつを続刊し、来春のボローニャ(イタリア)国際児童図書展に参加、世界中にこのアジアの試みを発信できたらと3カ国で話し合っています。

 

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