日中友好新聞
                    
                    2010年11月25日号1面
                      福建陶磁器の名品が一堂に
                      東京の出光美術館で「茶陶の道」展
                     東京の出光美術館ではいま「茶陶の道」展を開催。中世以降、日本と交流の深かった中国福建8回目。「分かりやすく省の陶磁器を中心に、その美をさまざまな角度から紹介しています。
                     同館の「やきものに親しむ」シリーズは、毎年1回で行なっている人気の展示で、今年で、若い人にも見せる展示」を目指す出光美術館の学芸員・金沢陽さん(58歳)に、今回の展示の魅力について聞きました。
                    
                    茶器、壷など130件を紹介
                     
                    
                      
                    金沢陽さん
    
                     今回は、同館収蔵の北宋から明代まで(960年〜1644年)の茶器、壷、水指を中心に約130件(参考出品を含め)を展示、特別に12月5日まで国宝 大名物「油滴天目茶碗」が大阪市立東洋陶磁美術館から出品されています。
                     「茶陶の道」については、東西交流史研究のパイオニアだった学者・三上次男氏(故人)の著作『陶磁の道』がヒントになりました。「茶陶の道」は造語で、東シナ海を舞台とした、福建と日本を結ぶ交易路のことです。福建省は古くから陶磁器など、手工業生産の盛んな土地柄でした。
                     
                    盛んだった茶器の交易
                     
                    
                      
                         禾目天目茶碗(のぎめてんもくちゃわん)
中国 南宋時代 建窯(出光美術館蔵)
                     
                     今回の展示から、当時の日本と中国の政治・経済が背景として見えてくるのも魅力です。
                        日本と中国の交易が盛んになると、中国側で日本向けに売れる商品を輸出するようになります。
                        元寇のあった元代(1279年〜1368年)や倭寇が頻繁に起こった明代、中国と日本の国家間が争っていたイメージが強い時代は、意外にも陶磁器の交易が盛んな時代でした。
                        扱う量が増えると、需要の高いものを把握しやすくなります。それをまとめた「倭好」という文章が、明代の倭寇を取り締まっていた役人によって書かれていたほど。
                        日本に向け輸出品を載せた元代の沈没船を後に引き揚げたとき、他の陶磁器とは明らかに違い、木箱に納められた宋代(960年〜1279年)の天目茶碗が見つかりました。そのことからも、元代にはすでに、日本人好みの陶磁器を理解できる中国人の商人がいたことや、その情報が中国に伝わっていたことが分かります。
                     
                    日本人の好みに合わせて
                     
                    
                      
                          呉州赤絵刀馬人物文皿(ごすあかえとうばじんぶつもんざら) 中国 明時代 ◆州窯(出光美術館蔵)(◆=さんずいに章)
                      
 
                     
                     日本人の好みは「天目」のように素朴なもの、すこし形がゆがんだものでした。
                       もともと、中国の陶磁器は青銅器の代わりとして発達した面があり、鋭利だったり、固そうだったり金属の質感をだしたものが多くあります。
                       日本の茶人らは、「見立て」で日本独自の価値をつけていき、なかには日本で宝物になったものもあります。たとえば「天目」は、中国ではもともと禅宗の僧侶が浙江の天目山で使っていた日用品。それが鎌倉時代、お茶とともに日本に入り、「天目」として珍重されたのです。
                       展示物に銘がある作品もありますが、おそらく銘をつけるのも日本人独特の感覚かもしれないと、金沢さん。
                       今回の展示には、その好みにあった福建陶磁を中心に、広東陶磁や景徳鎮・龍泉の陶磁器も含まれています。
                       数百年前まで、中国の陶磁器は世界最高の技術レベルで作られ、憧れの的でした。鎌倉時代や室町時代の将軍の権力を示す「威信財」として使われるようになります。
                       日本でも中国の陶磁器のようなものが作れないかという需要が、中国の陶磁器を手本として、日本の陶磁器を発達させました。
                       また明代や清代の海禁により、中国で対外交易が制限されると、代替品として長崎で大量の陶磁器がヨーロッパへ輸出されます。その需要は有田焼の発展を支えました。
                     
                    陶磁器は「平和の申し子」
                     
                     もともと、東洋史で陶器の物流を研究していた金沢さん。
                       「歴史的にみると、日中間の貿易は、直線的な貿易ではなく、周回や寄り道して荷を上げ下ろしした形跡が見られます。東シナ海は、あるときは民間の自由な海で、尖閣諸島も共同利用し、貿易していました。
                       その歴史が、将来の役に立つのではないかと思います。『天目』をはじめ、中国陶磁器は平和でないと流通しなかった、平和の申し子みたいなものですからね」。(東野允彦)
                     
                    ☆開催について☆
                       
                    ▽とき=2010年11月13日(土)〜12月23日(木・祝)午前10時〜午後5時(金曜日は午後7時まで)・月曜日休館(※国宝大名物「油滴天目茶碗」は12月5日(日)まで)
                    ▽ところ=出光美術館(JR線「有楽町」駅 国際フォーラム口5分、地下鉄「有楽町」駅 帝劇方面出口5分)
                    ▽料金=一般1,000円、高・大生700円(団体20人以上 各200円引)※障害者手帳をお持ちの方は200円引、その介護者1人無料
                    ▽問い合わせ=03-5777-8600(ハローダイヤル)